露記者ノーベル平和賞受賞の波紋

日本対外文化協会理事 中澤 孝之

反政府陣営の分裂露呈
ナワリヌイ氏支持者が批判

中澤 孝之

日本対外文化協会理事 中澤 孝之

 ノルウェーのノーベル委員会は10月8日、2021年のノーベル平和賞をロシアの独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ(新しい新聞/NG)」編集長のドミトリー・ムラトフ氏(59)とフィリピンのジャーナリスト、マリア・レッサさん(58)に授与すると発表した。1901年の第1回以来のノーベル平和賞の歴史で、ジャーナリストが受賞したのは、35年受賞のドイツのジャーナリストで平和運動家カール・フォン・オシエツキー(1889~1938)以来である。

 ロシア人のノーベル平和賞受賞者は、75年の物理学者で人権活動家のアンドレイ・サハロフ(21~89)、90年の元ソ連共産党書記長、大統領ミハイル・ゴルバチョフ氏(31~)以来3人目である。

元大統領が創刊を支援

 そのゴルバチョフ氏は、ムラトフ氏が編集長を務めるNGに深く関わってきた。ゴルバチョフ氏のペレストロイカ政策の中、93年4月にタブロイド紙NGが創刊された。ソ連最高指導者ゴルバチョフ氏の積極的な支援を受けて、ムラトフ氏ら民主派のジャーナリストたちが文字通り「新しい新聞」を立ち上げた。NGはまさに「ペレストロイカの落とし子」と言える。ゴルバチョフ氏は現在も同紙(発行部数は約50万部)の株主である。

 ノーベル平和賞受賞後、ムラトフ編集長は、15年前アパート入り口で射殺されたアンナ・ポリトコフスカヤ氏を含む献身的な報道によって犠牲になった6人の記者の名前を読み上げて、「ノーベル賞は死者には与えられないので、私は彼らの代理として授与された。勇敢な全てのジャーナリストたちが受賞者だ」と語った。

 NGは公務員汚職、警察の暴行、不法逮捕、不正選挙などプーチン政権下の政治や社会の不正を告発してきた。にもかかわらずNGは、プーチン政権による言論統制の例としてメディアで話題となっている、外国のスパイを意味する「外国の代理人」の宣告を受けていない。このこともあって、反政府陣営の中にムラトフ氏の受賞に関して、賛否両論の内部対立が起きた。当然受賞すべき人物として彼らが挙げたアレクセイ・ナワリヌイ氏が受賞しなかったことへの不満もあった。

 10月8日の米紙ニューヨーク・タイムズによれば、ナワリヌイ氏支持者の中には、ノーベル委員会に対し怒りの反応を示している者がいるという。彼らはムラトフ氏について、原則的に自分たちと同じ政権反対派ではなく、クレムリンと公然と妥協する人物だと見ているからだと同紙は指摘した。ナワリヌイ氏も獄中から祝意を表明したが、それは受賞発表がロシアの反政府陣営の深い分裂を浮き彫りにした数日後のことであった。

 ナワリヌイ氏の親密なある盟友は、ノーベル平和賞をナワリヌイ氏に授与しないというノーベル委員会の決定を批判するとともに、「(ムラトフ氏は)“自由”に関する大袈裟(おおげさ)で偽善的な演説の代わりに、暗殺未遂事件を生き延び、現在、殺人者たちによって人質に取られている人物を擁護することができたはずだ。大きな口ひげをたくわえたファシストに対して戦う人を支援せよ」とツイートした。この件に関わる「大きな口ひげをたくわえた」人物は、ムラトフ氏しか見当たらない。彼をファシスト呼ばわりしたのである。敵意がうかがえる。ムラトフ氏に対するこうした罵詈(ばり)雑言が、ロシアの一般国民に支持されるとは思えない。

大統領に直接懸念表明

 そのムラトフ氏は10月21日、ロシア南部ソチで開かれた恒例のバルダイ会議(プーチン大統領と内外のロシア問題専門家の会合)で、大統領と対面。ロシアのメディアやNGOなどに対する「外国の代理人」の烙印(らくいん)に強い懸念を表明した。

 ペスコフ大統領報道官や首相報道官が、いち早く受賞への祝意を伝えていたが、大統領はこの日初めて自ら、ムラトフ氏への説明の前に「受賞を祝福したい」と発言。「外国の代理人」指定に関しては、「外国から資金提供を受け、内政干渉する活動を対象にしている」と強調した上で、「法律の曖昧な基準については点検する必要がある。関係機関に法律を悪用しないように指示する」と述べたと報じられた。大統領に「外国の代理人」の曖昧さを糺(ただ)したムラトフ氏の勇気は称(たた)えられるべきであろう。

(なかざわ・たかゆき)