ゴラン高原の主権承認
獨協大学教授 佐藤 唯行
イランの脅威増大に対抗
米とイスラエルの深慮遠謀
1967年の第3次中東戦争によりイスラエルがシリアより奪取し実効支配しているゴラン高原。かの地に対するイスラエルの主権を3月末、トランプ米大統領が承認したのだ。
一方、国際社会は「ゴラン高原の地位」についてはイスラエルとシリア、双方の話し合いにより解決すべきだという立場を採り、半世紀以上にわたりイスラエルの主権を認めていない。それ故、今回の承認はアメリカがイスラエルの強力な味方であるというメッセージを世界中に発信する結果となったのだ。
戦略的要衝で水源地帯
ゴラン高原とはイスラエル北東部に位置する大阪府ほどの面積を持つ高原地帯だ。イスラエルにとり敵国シリア、レバノンと境界を接する戦略的要衝なのだ。イスラエル軍の機甲部隊がここから進撃すればシリアの首都ダマスカスまでわずか半日で到達できる。敵に奪われれば大惨事だ。67年以前、シリアはこの高原の眺望の良さを生かし、ガリラヤ湖周辺に広がるイスラエル人集落を砲撃するための重砲陣地を築き、多くの民間人を殺傷し続けたのだ。
重要性は軍事面にとどまらない。淡水資源が日本の6%しかないイスラエルにとり、ゴラン高原は貴重な水源地帯なのだ。レバノンとの国境にそびえるヘルモン山の雪解け水は、ゴラン高原を下って最大の流量を誇るヨルダン川に流れ込むのだ。ゴラン高原をめぐる争いは水をめぐる争いでもあるのだ。
それでは次に主権承認が現下のタイミングでなされた理由を考えてみよう。第一は長期化したシリア内戦がゴラン高原をめぐる軍事バランスを崩したことだ。アサド政権の延命が確実になるにつれ、後ろ盾であるイランの存在感が増大。イランの手下であるイスラム教シーア派武装組織ヒズボラがゴラン高原周辺に拠点を築き始めたのである。ヒズボラをイスラエル領内に潜入させ破壊活動を行わせようとする仇敵イランの策謀から国土を守るためにも、ゴラン高原の主権掌握はイスラエルにとり急務の課題となったわけだ。
第二はイスラエル国内の政治的理由だ。汚職疑惑の中、4月9日の総選挙に向けて逆風に曝(さら)されている盟友ネタニヤフを救いたいトランプによる援護射撃というわけだ。ゴラン高原に対する自国の主権をアメリカに認めさせたことは、ネタニヤフにとり外交的成果として有権者にアピールできるのだ。多くのイスラエル国民にとり、ゴラン高原の主権獲得は長年の悲願だったからである。
シリアの国内状況も無視できない。アサド政権が国内の反政府勢力との戦いに忙殺されている今こそ好機と米・イスラエル側は判断したのだ。アサド政権はゴラン高原の主権問題に割く余力などないのだ。中東産油国の情勢変化も見逃せない。今回のトランプによる主権承認に対しては言葉による形だけの非難しかできないはずだ。高まるイランの脅威に対抗するために湾岸産油国は軍事・安全保障面でイスラエルに急接近しているからだ。
福音派支持取り付けも
最後に米国内に目を転じれば再選を目指すトランプ自身にとって支持基盤固めという意味もある。トランプに最も忠実な支持基盤、キリスト教福音派は宗教的理由からイスラエルを応援しないと神様から叱られてしまうと考える人々だ。今回の主権承認は福音派の支持を取り付ける上でも効果的なのだ。同派の信徒でサウスカロライナ州選出の連邦上院議員、リンゼー・グラムはトランプによるゴラン高原主権承認は戦略的に賢明かつ道徳的にも大切な行いだと絶賛している。
以上みてきたようにトランプによるゴラン高原に対するイスラエルの主権承認(それはネタニヤフが求め働き掛けてきたものでもある)は、したたかな読みの下に絶妙のタイミングでなされたものであることがお分かりいただけたと思う。今回の一件については「中東紛争の悪化を招きかねないトランプの愚行」という否定的評価が大勢を占めているが、トランプ・ネタニヤフの側に立てば深慮遠謀の下になされた巧妙な外交上の布石であることが分かるであろう。(敬称略)
(さとう・ただゆき)