動乱60周年迎えたチベット
3月10日、都内の公園で約150人のチベット人および日本のチベット支援者、中国の圧政下で苦しむ同胞のウイグル人やモンゴル人による集会とデモが行われた。これは1959年3月10日、チベットの首都ラサで民衆が決起してから60周年を記念する催事であった。当時多くの人々が命懸けで決起した時から60年が過ぎ、日本以外でも世界各国で同じような集会が開かれ、大規模な場所では数千人単位が集まった。
あの時、先頭に立って戦った人々の多くはもうこの世を去り、第2世代の人たちも高齢者の域に入り、今はかつての英雄たちの遺志を継ぎ先頭で戦う人々は外国で生まれ、または中国の植民地支配の下で生を受けた若者たちである。彼らは中国共産党の独裁政権下で犠牲になった120万人の先輩たちと、今でも焼身抗議などを通して祖国の自由のために戦う人々を称賛すると同時に、チベットが完全に自由を勝ち取るまで戦いを続ける決意を新たにしていた。
言葉より行動で判断を
また米国務省が13日発表した報告書は、チベットやウイグルなどに対する人権抑圧について「話にならないほど深刻である」と北京政府を批判した。同報告は特に今のウイグルの強制労働収容所の現状について150万人もの人々が留置されている実態を明らかにしている。
現在チベットにおいては同じような強制労働収容所などはほぼ無くなったものの、ダライ・ラマ法王の写真を保持した者、チベットでチベット語を教えることを要求した者、あるいは法王への忠誠と宗教を放棄しない者など数多くの人々が逮捕され、国内のあらゆる場所で公安当局が24時間体制で目を光らせ監視を強化している。北京政府はアメリカ、日本など自由社会の期待を裏切り、経済大国、軍事大国になることでチベット、東トルキスタン、南モンゴルにとどまらずアジア小国を経済的植民地化し、自由と民主主義の価値観を根底から否定するような体制をつくりつつある。
1950年、中華人民共和国は成立直後、チベットを侵略し、51年に不当な条約を押し付けた。インドのネール首相は54年4月、中国との間にいわゆる平和五原則の協定を結び、すっかり中国を信用したが、結果的に62年、中国のインド侵攻によって裏切られた。当時ネールは、中国は平和を望んでおり、決してインドや他国を侵略する意思が無いと固く信じていた。今、米中の貿易戦争(覇権争い)でもトランプ米大統領は、習近平中国国家主席は良い人だと言い、どこか甘い幻想を抱いているようである。日本国内でも同様の考え方を持つ財界人や政治家、言論人がいるようだが、理想主義者のネール同様に裏切られる覚悟が必要である。世界は中国の言葉よりも行動に注目して判断することが大切である。
法王になお絶大な信頼
このたびダライ・ラマ法王が外国の記者に、ご自分の生まれ変わりはインドで生まれる可能性があるとおっしゃったことが世界的に取り上げられている。法王のこの言葉の背景には、中国が前の少年パンチェン・ラマを拉致し偽パンチェン・ラマを担ぎ出したことや、近年、法王のご高齢化に合わせ、次のダライ・ラマを北京政府が選ぼうと盛んにアピールしていることがある。北京政府は今年の全国人民代表大会(全人代)においても、当局によって選出されたチベット人民代表なるものに「チベットでダライ・ラマを尊重する人はどこにもいない」などと言わせている。これは逆に言うといまだにチベットの人々は法王を敬愛し、法王とダライ・ラマ制度そのものに絶大なる信頼があることを北京政府が痛感しているからである。
中国のチベット侵略から70年、チベット人による決起とダライ・ラマ法王のインドへの亡命から60年が過ぎ、確かにチベット領土は中国共産党と人民解放軍によって支配されているが、今でもチベットの人々の心は支配されていない。つまり飲み込んでも消化できていない。孫の世代になっても中国の不当な支配に対する抵抗と祖国の歴史と文化を継承し続けていることがその証拠である。