「インド・太平洋」戦略の成否

櫻田 淳東洋学園大学教授 櫻田 淳

スリランカが試金石に
普遍性欠く中国「一帯一路」

 日米両国の実質上の共通戦略になるに至った「インド・太平洋」戦略は、習近平(中国国家主席)統治下の中国が展開する「一帯一路」構想への対抗戦略としての性格を持つ。

 この二つの戦略が鬩(せめ)ぎ合う場になっているのが、太平洋とインド洋の「結節圏域」としての東南アジア周辺地域、あるいはインド、バングラデシュ、タイ、ミャンマー、インドネシア、マレーシア、スリランカといった国々が位置するベンガル湾海域である。

 「インド・太平洋」戦略の成否は、東南アジア地域やベンガル湾海域への日本の関与が、どれだけ実の伴ったものであるかに懸かっているといえよう。

 折しも、小野寺五典(防衛大臣)は、8月中旬以降、インドとスリランカの南アジア2カ国を訪問した。小野寺の南アジア2カ国訪問の力点が多分にインドよりもスリランカにあるというのは、平凡な推測である。というのも、2000年代半ば以降に「真珠の首飾り」戦略として知られるようになった中国のインド洋シーレーン戦略の文脈では、スリランカの占める位置が重いのは明白であるし、その故にこそ日本にとってスリランカを中国の影響下から引き離す対応の意義は、大きいからである。

 小野寺のスリランカ訪問を事前に報じたNHK記事(8月19日配信)は、「スリランカには、日本の防衛大臣として初めて訪れ、中国が99年間の運営権を取得した、南部のハンバントタ港を視察するほか、シリセナ大統領らと会談することにしています」と伝えている。

 マイトリーパーラ・シリセナ(スリランカ大統領)は、マヒンダ・ラジャパクサ(スリランカ前任大統領)の対中依存傾向の修正を図っていると伝えられているので、日本としては、このシリセナの方針を後押しするのが大事になろう。

 また。中国企業によるハンバントタ港の99年租借は、ラジャパクサ執政下の対中傾斜を象徴する一件として観(み)られてきたけれども、シリセナが執政に入って以降、この「帝国主義的な」港湾租借についても、「軍事利用はさせない」という対中合意が出来上がっている。日本としては、その合意が確実に守られるかをスリランカに問い質す対応は、怠るべきではないであろう。

 日本とスリランカの「縁」は深い。サンフランシスコ講和会議に際して、ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ(当時、蔵相/セイロン政府代表)が対日賠償請求権放棄を表明しつつ、日本の国際社会復帰を求めたのは、有名な挿話である。

 スリランカには英領植民地時代を含めれば、昭和天皇と今上天皇陛下の2代が皇太子時代に訪問を果たされている。2015年9月には、安倍晋三(内閣総理大臣)が足を運んでいる。

 スリランカからは、ジャヤワルダナ以降、チャンドリカ・クマーラトゥンガ、ラジャパクサ、シリセナの歴代大統領が来日している。この「縁」の深さは、日本にとっての「資産」である。

 もっとも、「一帯一路」構想に向かって吹く逆風は愈々(いよいよ)、顕(あきら)かになりつつある。たとえば、クリスティーヌ・M・O・ラガルド(国際通貨基金専務理事)は、去る5月中旬の講演の席上、「一帯一路」構想に基づく中国のインフラ投資について、「参加各国は、フリーランチ(ただ飯)と考えるべきではない」と指摘した。

 また、読売新聞(電子版、6月15日配信)記事に拠(よ)れば、ジェームズ・マティス(米国国防長官)は、現下の中国の対外姿勢について、「他国に属国になるよう求め、自国の権威主義体制を国際舞台に広げようとしている」と評し、「他国を借金漬けにする侵略的経済活動を続けつつ、南シナ海を軍事化している」と断じている。

 「一帯一路」構想は、第2次世界大戦後の欧州諸国で「自由と民主主義」の価値を確かならしめるべく米国が実施した「マ―シャル・プラン」のように、明確な理念上の裏付けを持つわけではなく、ただ単に中国の「覇権主義」的な自己利益に寄与するものでしかない。そうした認識が広がれば、「一帯一路」構想の末路は、推して知るべしであろう。「一帯一路」構想には、「普遍性」が決定的に欠落しているのである。

 以上の考察から判断する限り、日米両国主導の「インド・太平洋」戦略は、「自由・民主主義・人権・法の支配の擁護」といった理念上の裏付けを明確に持つ故に、それが中国の「一帯一路」構想に対して持つ「優位性」は、間違いないであろう。

 故に、日本の対外政策の文脈で留意されるべきは、こうした「優位性」への確信を揺るがせることなく、どれだけ着実かつ誠実に東南アジア地域やベンガル湾海域の事情に関わっていくかということである。スリランカへの関わりは、その確かな試金石であるといえよう。(敬称略)

(さくらだ・じゅん)