台湾危機救った旧日本軍中将
「古寧頭戦役」
中国福建省アモイの対岸に浮かぶ台湾の離島、金門島。国共内戦でこの島に上陸してきた共産党軍を撃退した1949年の「古寧頭(こねいとう)戦役」で、国民党軍の作戦を影で指揮したのが旧日本軍の根本博陸軍中将だった。台湾の危機を救った日本人の存在は、台湾の複雑な政治事情の中で隠されてきたが、戦役から70年が経過した今、徐々に知られるようになってきている。(編集委員・早川俊行)
金門島上陸の中共軍撃退
記者が金門島北西部にある「古寧頭戦史館」を訪れたのは10月25日のことだった。この日はちょうど、古寧頭戦役の勃発から70年の節目に当たり、馬英九前総統が元兵士と当時使われた戦車の前で記念撮影する光景が見られた。台湾政府主催の記念式典は、2日前の同23日に蔡英文総統が出席して行われている。
金門島は中国大陸から2㌔しか離れておらず、肉眼でアモイを見ることができる。中国大陸に張り付くような位置にある金門島が台湾領であるのは、古寧頭戦役で大勝利を収めたからにほかならない。
古寧頭戦役では、蒋介石率いる国民党軍が金門島に上陸してきた共産党軍を3日間で撃退する。国共内戦で敗走を重ねていた国民党軍が、なぜこの戦いにだけ勝つことができたのか。そこには根本中将の大きな貢献があった。
北支那方面軍司令官だった根本中将は、敗戦処理の過程で、在留邦人と日本兵の帰国を助けてくれた蒋介石に強い恩義を感じていた。その恩義に報いるため、根本中将は命懸けで台湾への密入国を果たす。台湾が共産党の手に落ちる事態を防ぐため、国民党軍の軍事顧問として古寧頭戦役の作戦を水面下で指揮したのである。
根本中将は、共産党軍を金門島に上陸させてから船を焼き払い、包囲して殲滅(せんめつ)する作戦を立案し、これが見事に成功。村落に隠れた敵兵に対しては、あえて退路をつくり、誘い出してから撃滅することで、民間人の巻き添えを防いだ。
古寧頭戦役の勝利は、台湾本島も奪取しようと進撃を続けていた共産党軍の勢いを完全に止めた。この戦いは金門島を守っただけでなく、台湾の存立を決定付けたと言って過言ではない。
「根本将軍がいなければ、あの戦いには勝てませんでした」。金門島を案内してくれた同島在住の劉師政さん(44)は、この言葉を何度も繰り返した。
共産党軍に唯一勝利した戦いが日本人に助けられた事実は、国民党にとって「不都合な歴史」であるため、国民党政府は根本中将の存在を隠してきた。古寧頭戦史館にも根本中将の記述は見当たらない。
劉さんは、インターネットで根本中将のことを知り、日本人の貢献が全く教えられてこなかったことに愕然(がくぜん)とした。今は戦史館を案内する時は、必ず根本中将の話をしているという。
ノンフィクション作家の門田隆将氏が根本中将の尽力を描いた『この命、義に捧ぐ』は、台湾で『為義捐命』の題名で翻訳されている。門田氏の取材に協力した許光輝さん(54)によると、同書の影響もあり、台湾でも根本中将の存在を知る人が増えてきているという。
台湾政府の姿勢も変わってきている。2009年に当時の馬英九政権が開いた60周年記念式典には、根本中将の通訳として戦いに加わった吉村是二の子息らが出席を認められた。台湾国防部の黄奕炳陸軍中将は吉村さんらに対し、日本人の支援について正式に感謝の言葉を述べている。








