中国の「威圧と検閲」に抗う意味
東洋学園大学教授 櫻田 淳
問われる日本の対中忖度
「自由」を脅かす北大教授拘束
「北海道新聞」(10月24日配信)記事は、北海道大学で教授職を務める中国近代史研究者が、その事由を開示されないまま、9月上旬に訪問先の上海で中国当局に拘束されていたことを報じた。この一件は、日本の「知の世界」に衝撃を与えている。
腑に落ちぬ学会の反応
「日本経済新聞」社説(11月2日付)は、「日中関係の改善を阻害する重大な問題であり、深く憂慮する」と記している。日本の中国研究関連学会が続々と声明を発している。例えば日本現代中国学会が発した声明には、「こうした状況の下、…日中間の健全な学術研究・学術交流推進へのその影響を憂慮してきました」という一節がある。
もっとも、こうした反応には、腑(ふ)に落ちないところがある。この件の本質は、「学問の自由」という「西方世界」流の基本信条が脅威に晒(さら)されたということであるにもかかわらず、何故(なぜ)、この件を語る際に、「日中関係への影響に対する懸念」が前面に出ているのか。憲法上も保証され、日本も近代150年の歳月の中で受け入れた価値意識が揺さぶられていることの意味は、深刻に受け止められるべきであろう。
率直に言えば、日本の中国研究関連学会には、チベット自治区や新疆ウイグル自治区おける中国共産党政府の「抑圧」が従来から折々に語られてきたにもかかわらず、対中研究・対中交流に際しての必要のために、中国共産党体制の「抑圧」性向に対する批判を手控える姿勢が見られたという指摘がある。こうした姿勢は、中国ビジネスの必要のために過剰な対中忖度(そんたく)をしたとして批判されたナイキやアップルのような米国企業の姿勢とは、果たしてどこが違うというのか。こうした事実は、日本の中国研究関連学会が反省すべきところである。
北海道大学教授拘束が報じられたのと同じ刻限、10月24日、マイケル・R・ペンス(米国副大統領)がワシントンにあるウィルソン・センターで行った対中政策演説を披露した。この演説には、次のような一節がある。
「中国共産党は米国の世論に影響を与えようと、米国の企業や映画産業、大学、シンクタンク、研究者、報道関係者、そして自治体や州、連邦政府の役人に見返りを与え、威圧を続けている。中国は米国に不公正な貿易で何千億㌦分もの製品を輸出するばかりでなく、最近は企業の欲を悪用して検閲をも輸出しようとしている。…米企業やプロスポーツ、プロ選手が検閲を甘受するならば、それは単に誤りではなく非米国的だ。米国の企業は、国内と世界で米国の価値観のために立ち上がるべきだ」
北海道大学教授拘束案件は、ペンス演説にある「威圧と検閲」が日本にも及ぼうとしていることを赤裸々に示した。しかも、1950年代、米国においてマッカーシズムの勢いが盛んであった頃に語られた「非米国的」という言葉が、またぞや前面出てきたことの意味は大きい。
「学術活動であれ企業活動であれ、自らの都合のために、中国の『威圧や検閲』に膝を屈するのか」という批判が今後、米国の「知の世界」や企業だけでなく、他の同盟国のそれに及ぶようになったら、どうなるか。ペンスが「自由や民主主義」といった価値に対する侵害に毅然(きぜん)とした態度で臨まないのを「非米国的」と呼ぶならば、日本の中国に対する過剰忖度や微温姿勢の意味は、当然のように問われよう。
国益損ねる習主席招聘
来年、習近平(中国国家主席)を国賓として招聘(しょうへい)することが予定されているけれども、その招聘もまた、よほど米国と裏で気脈を通じた上で行わないと、「日本の利益」を確実に損ねるであろう。率直に言えば、例えば宮中晩餐(ばんさん)会の場で天皇陛下と習近平とが並ぶ風景を内外に発信するのは、論外の沙汰である。当節、「日中友好」の建前に酔うほど、愚かな振る舞いはない。
(敬称略)
(さくらだ・じゅん)
(編集注:中国で拘束されていた北海道大の教授は釈放され、15日に帰国した。)