二階の深謀遠慮、安倍政局の主導権狙いも
140人を超える巨大な派閥を率いて日本を支配した田中角栄(元宰相)ほどの巨魁(きょかい)であっても、末路は哀れだった。没後25年を経て高度経済成長の再来を夢見る待望論が湧いているが、田中角栄の息のかかった国会議員は二階俊博(自民党幹事長)、小沢一郎(自由党代表)、石破茂(元地方創生担当大臣)、中村喜四郎(衆院議員)、山東昭子(参院議員)の5人しかいない。
だが、その絆は今なお強いようである。民主党政権で環境大臣を務め、将来を嘱望(しょくぼう)されていた無所属の衆院議員・細野豪志が二階派の特別会員となり、いずれ自民党に入党するのだという。裏切り、寝返りは永田町では珍しくはないにしても、細野豪志ほどの「大物」が敵方に寝返ったのはそうそうない。
その縁を繋(つな)いだのが田中角栄の「御庭番」として怖(おそ)れられた朝賀昭である。田中の生前、有望な人材探しを命じられていた朝賀昭は、若き日の細野豪志に惚(ほ)れ込み、後援会をつくっただけでなく、自民党を離党、新進党から保守党などの流浪の旅から帰参した二階俊博に「向こうの党にいる奴(やつ)ですが」として紹介している。10年も前のことである。
二階俊博は細野豪志をじっくり観察していたらしい。のちに朝賀昭が「どうですか、あいつは」と尋ねると「彼は自民党に来てもいい政治家だな」と語っている。過去を問うことなく、憲法、安全保障に関する考え方、天皇制については厳しく採点したらしい。二階俊博のお眼鏡に適(かな)ったのである。その後は一瀉(いっしゃ)千里である。
永田町のドンと呼ばれても、二階が同志を糾合していくのはそう簡単ではない。細田派、岸田派、麻生派、竹下派などががっちりと自民党内を分割支配している。勢力拡大は難しい。師と仰ぐ田中角栄にしても金丸信(元副総理)にしても、佐藤栄作や竹下登がつくり上げた巨大な派閥が基礎にあった。二階派はそこまでは及ばない。
政治は「数の力」がモノを言う。同志を増やすには「逸(はぐ)れガラス」や「一匹狼」などを引っこ抜かなければならない。そのせいで二階派からは問題議員が続出している。桜田義孝(五輪担当大臣)、江崎鉄磨(元沖縄北方領土担当大臣)など失言やスキャンダルでメディアに狙われる人物が多い。胡散臭(うさんくさ)い政治資金を追及されている片山さつき(地方創生担当大臣)もいる。そのために二階俊博は「永田町の塵(ちり)拾い」とも揶揄(やゆ)されてもいる。
細野豪志の場合は、同じ衆院静岡5区に落選中とはいえ岸田派で捲土(けんど)重来を期す元衆院議員・吉川赳(たける)がいる。次の公認を約束された「自民党支部長」でもある。自民党現職がスキャンダルで離党し、議員辞職を迫られているので吉川赳が繰り上げ当選し「現職」になることもあり得る。親分・岸田文雄(自民党政務調査会長)も黙ってはいられない。
先の衆院選でも二階派の長崎幸太郎と、岸田派の堀内詔子(のりこ)が共に無所属でガチンコ勝負をし、堀内が勝利を収め追加公認を得ている。長崎の方はその後行われた山梨県知事選に勝ち、一応決着した。細野豪志と吉川赳の戦いは両雄の遺恨試合の再燃である。
惚(とぼ)けたんじゃないかと言われても、党内の軋轢(あつれき)が分からない二階俊博ではない。穏健で戦闘力に乏しい岸田文雄への「愛の鞭(むち)」と言う人もいる。それだけではない。宰相・安倍晋三と枝野幸男が率いる立憲民主党と、政界が二極化され「中間勢力」が薄れてきている情勢を政党政治の危機と思っている。敢(あ)えて二極化から弾(はじ)き出されている有望株の「受け皿」になろうという覚悟なのである。「保守中道の総結集」(二階派幹部)を謀り、ポスト安倍政局の主導権を握る狙いもある。お惚けの顔の裏で、したたかな爺(じい)さんである。
(文中敬称略)
(政治評論家)