民意は基地反対より経済発展 現職の渡具知氏再選


移設容認派 5勝2敗に

名護市長選挙で勝利し、取材に応じる渡具知武豊氏23日午後、沖縄県名護市

 24年前に米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設の是非が初めて争点化してから7度目の名護市長選となった今回、現職の渡具知(とぐち)武豊氏が勝利し、移設容認派が5勝目と大きく勝ち越した。

 1998年2月の市長選で初めて移設が問われた。政府の海上ヘリポート建設案をめぐる97年12月の住民投票で反対派が過半数を占めたにもかかわらず、比嘉鉄也市長は建設受け入れを表明。直後に辞任したことで行われた選挙で、賛成派に推された岸本建男氏が初当選した。今回、革新陣営から出馬した洋平氏の父親だ。

 岸本氏が2期務めた後も、条件付き容認の立場の島袋吉和氏が勝利したが、民主党政権が09年9月に発足してから潮目が変わった。鳩山由紀夫氏が当時の総選挙の公約で移設先を「最低でも県外」と訴えたことで、県内世論が県内移設反対へと揺れた。

 翌年1月の市長選では移設反対派が推す稲嶺進氏が勝利。革新勢力に一部保守を巻き込む「オール沖縄」の流れを作った翁長雄志知事(当時)の人気も手伝い、2期目も当選した。

 自公側にとって重たい雰囲気を破ったのは渡具知氏だった。18年2月の前回市長選では、「国と県の裁判の推移を見守る」とし、辺野古移設の争点化を避けたものの、事実上移設容認派の渡具知氏が稲嶺氏を退けた。

 辺野古沿岸部への土砂投入開始後では初めての選挙だった。23日夜、当確を受け渡具知氏は「推移を見守る以上のことが首長としてできるのか。4年前と状況は変わっていない」と述べ、政府と裁判を繰り返す玉城デニー知事を間接的に批判した。

 条件付きで移設容認する、辺野古商工社交業組合元会長の飯田昭弘氏は、「誰も工事を止められないのは分かっている。名護の経済発展を願った明確な民意」と指摘。「渡具知市長には政府と一緒に辺野古を含めた名護東海岸地域の開発を進めてほしい」と期待を述べた。

 玉城知事は何度も名護に入り、洋平氏の応援のためにマイクを握った。洋平氏の敗北が確定し、玉城知事は「辺野古の新基地建設に反対するという方向性は1ミリもブレることはない。渡具知氏に投票した人の中にも新基地反対の人もいる」と強気の姿勢を崩さなかったが、玉城県政にとって大きな痛手だ。日頃、民意の重さを口にする玉城知事だが、引き続き名護市民の声に耳を貸さないのか。まずは渡具知市長との真摯(しんし)な対話が求められる。