チベット侵略を正当化する中国
拓殖大学国際日本文化研究所教授 ペマ ギャルポ
「白書」発表し必死に弁明
近代化強調も目的は支配強化
世界が中国の正体に目覚め、今や中国は世界中から警戒される対象となっている。つい1年ほど前まで日本では世界日報など限られた保守系の新聞しか中国の圧政について報道していなかったが、2019年頃からトランプ米政権下のペンス副大統領の歴史的なウイグルの実態への衝撃的発表によって目覚め、日本でも所謂大新聞ももはや無視できず報道するようになった。
また国会でも政治家たちがチベット、ウイグル、南モンゴルのみならず香港や台湾問題に関連して中国の人権弾圧などへの認識が高まり、今や中国を批判する国会決議が出される気配にまで及んでいる。
言論人招き現地を案内
中国ももちろん黙ってはいない。日本国内でもさまざまなシンポジウムなどを企画し反撃に出ている。今回はチベットだけに絞って読者の皆様に最近の中国の動向について報告したい。まず中国政府は4月15日にチベット白書なるものを発表した。続いて5月31日から6月5日にかけて中国側が詳細に計画し、ガイド付きのチベットツアーを企画し、慎重に選ばれた十数人のジャーナリストを案内した。それに加えて5月31日から6月2日までの3日間、習近平国家主席自らチベットのアムド地方(現在の青海省)に出向いた。これらの北京政府の慌てぶりを見ても、もはや彼らは自己弁明、正当化に懸命であることが分かる。
まずチベット白書ではチベットの歴史について、古代よりチベットが中国の一部であり、特に元朝以来チベットが中国の一部になったことを強調している。だが元の時代においてモンゴルは確かに中国を侵略し支配したが、チベットを侵略はしていない。チベットとモンゴルの関係はお寺と檀家の関係であり、歴代モンゴル皇帝はチベットの高僧たちを尊敬し、特に精神的な指導を仰ぎ、チベットの支援者的な存在であった。歴代ダライ・ラマ法王とモンゴルの皇帝との関係は極めて良好であり、これは後の清朝まで継続した。
また1950年、中国の、彼らの言うチベット解放(侵略)は歴史的必然であり、チベット自体が歴史的転換期に来ていたと自分たちの侵略を肯定している。確かに40年代後半から50年代において、他のアジアの国々同様、チベット国内でもさまざまな改革を求める活動があった。これはチベットのみならず、戦後アジアの多くの国々に新たな時代が到来していた。チベットの中でも僧侶や若い官僚らが祖国の変革と改革を求めた。だからといって外国の侵略を正当化するための口実にはならない。中国の侵略が無ければ、まだ若かったダライ・ラマ法王ご自身もチベットの改革を進めようとしていた。
チベット白書の第2部では、北京政府によってチベットが近代化し、開発され、豊かになったと弁明している。確かにチベットに道路ができ、鉄道、空港などインフラが整備されたことは事実であるが、それはチベットのためではなく中国による植民地支配を強化するためであって、チベットの生活には直結していない。チベットが豊かになったとすれば、昨年、中国政府が働き盛りのチベット人54万人を強制的に本土へ送り込んだ時の正当性として、「チベットの貧困を無くすため」と言っていることと矛盾しているとしか言えない。かつてチベットには「餓死」という言葉が日常に存在していなかったが、中国の支配下で「餓死」が常態となった。
第3部では、ダライ・ラマ法王が提唱している中道路線は本質的には国を分裂させるための偽装であると北京政府は決めつけている。しかし、文化大革命で国が無政府状態になり、貧困から脱却するために世界に対して中国が融和的な姿勢を取った時、ダライ・ラマ法王と亡命政府に独立以外、何でも話し合う用意があると甘い言葉を掛けておきながら、今日では法王の代表との真剣な対話を拒否しているのは中国自身である。
「省」にして完全吸収へ
最後に、チベットに出掛けたジャーナリストたちの証言でも、中国は徹底してチベットに愛国教育を押し付け、共産党を愛し、支持し、共産党に従うこと、ダライ・ラマ法王に代えて習近平主席を精神的な指導者であることを強制していることが伝えられている。習主席はアムドに行って、青海省はチベットとウイグル自治区を治めるための模範とすべきだと指令を下している。つまりチベットとウイグルの自治という言葉すら取り上げて、「**省」化し、完全に中国に吸収する宣言に聞こえる。