共産党の「戦後70年」 武装闘争の過去に無反省
「殺し殺され」は党史に
終戦記念日の8月15日付の日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」1面には、「戦後70年にあたって――『安倍談話』と日本共産党の立場」と題する志位和夫委員長の談話が掲載された。
「日本軍国主義の引き起こした侵略戦争と植民地支配の犠牲となった内外の人びとに、深い哀悼の意を表明します」との書き出しで憲法9条による平和を訴え、14日に発表された安倍晋三首相の戦後70年談話に対して、「『侵略』『植民地支配』『反省』『お詫(わ)び』などの文言がちりばめられていますが、日本が『国策を誤り』、『植民地支配と侵略』を行ったという『村山談話』に示された歴史認識はまったく語られず、……欺瞞(ぎまん)に満ちたものとなりました」などと批判。
また、「日本とアジア諸国との『和解と友好』」に向けた提案を述べた後、安全保障関連法案に対して、「戦争法案を強行し、日本をアメリカとともに『海外で戦争をする国』につくりかえようとしています」と反対し、「『殺し、殺される』日本への逆行を絶対に許してはなりません」と批判している。
共産党が安倍首相談話を評価するはずはないが、安倍首相は戦後70年談話で「わが国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた」と訴え、その立場は「今後も揺るぎない」と強調しており、それを村山・河野談話の言葉の比較で「欺瞞」というのは乱暴に過ぎる。
それよりも怪しいのは、「戦後70年にあたって」共産党の記念すべき合法化に触れない不自然さである。戦後初の1946年衆院選で5議席、3回目の49年に35議席の躍進と、そのまま議会制の政党だったら戦争に「命がけの反対を貫き、戦後は国民の支持を集め大躍進を果たした」などと触れたに違いない。
それができないのは、「殺し、殺される」の表現がそのまま党史に当てはまるからだ。まず、志位委員長を1990年第19回共産党大会で書記局長に大抜擢(ばってき)した宮本顕治議長は、1933年(昭和8年)にスパイと疑った党員を査問中に死なせている。また、戦後の共産党は国政進出の一方で武装闘争路線をとり暴力革命を目指した。52年はそのピークで、全国的に派出所や税務署を襲撃し警官らを殺害、火焔瓶事件や皇居前騒擾(そうじょう)事件(血のメーデー事件)などでも多くの死傷者を出した。まさに「殺し、殺される」暗黒の党史があるから触れることができないのだ。
戦争を知らない安倍首相が過去の反省やお詫びを表明している。共産党はじめ共産主義者の暴力は戦後70年の重大事件として特筆されるもので、数々の騒乱や破壊の傷跡を残した。ならば、現在の共産党も自ら過去の暴力主義による犠牲者、その遺族はじめ国民に対して、首相談話の表現を借りて痛切な反省とお詫びを表明するべきだ。でなければ、それこそ歴史(党史)を偽造する欺瞞というものだ。
解説室長 窪田 伸雄





