民主党代表選、海江田路線を岡田代表継承

「原点回帰」で再編論封じ

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記者会見する民主党の岡田克也新代表=18日午後、東京都千代田区

 民主党の代表選が行われた。同党の機関紙「プレス民主」1月2日号1面は「代表選を7日告示」の記事、1月9日号で「民主党代表選挙」の号外を出し、長妻昭、細野豪志、岡田克也の各氏3候補の公約を載せた。18日臨時党大会を受け、1月23日号で「オール民主で原点回帰 岡田克也新代表を選出」の号外を出した。

 新代表の所信である「原点回帰」が今後の民主党を方向付けるが、結局は海江田万里前代表の党改革の継承である。3氏の公約で基本政策は大差ない。が、党運営では、細野氏が党運営民主化と地方重視を訴え、長妻氏は代表直属の「政権奪還本部」設置という本部機関の強化に力点を置き、岡田氏は「党改革実行本部」を設置し党改革創成会議報告書を踏まえた「党改革300日プラン」の策定・実行を打ち出した(9日号)。

 党改革創成会議(議長・船橋洋一日本再建イニシアティブ理事長)による報告書(14年7月)は、政権喪失の反省・総括をした海江田前執行部の“集大成”で、党再生に向け「穏健中道」を党のカラーとすることや党運営の在り方などを提言した。これを下敷きに「熟議と決断」の政党文化を岡田氏は目指すことを政見表明で繰り返した(23日号)。

 「原点回帰」による党の立て直しの「原点」だが、民主党には1996年と1998年の二つの原点がある。96年の民主党結党は労働界再編と衆院選への小選挙区導入によるものだった。先に連合の発足(89年)で社会党系労組の総評と民社党系労組の同盟が合流、政権交代と政界再編の流れに乗り社会党の大部分と民社党が合流し、新党さきがけも加わった。

 98年は、当時第2政党の新進党解散(97年)で分かれた党派のうち、再結成した公明党と自由党を除く勢力が民主党に吸収された。岡田氏は98年の入党組で、「原点」は、この時に民主党が掲げた「基本理念」だろう。保守系の反発で綱領にならなかった代物で96年の民主党色=連合色が強い。この中に「『生活者』『納税者』『消費者』の立場を代表します」との「私たちの立場」が示され、岡田氏の公約にも忠実に表記された(9日号)。

 その後、03年の自由党との民由合併を呼び水に政権交代を09年に達成するものの、党内抗争に明け暮れて分裂。消費増税法案を引き金に元自由党の小沢一郎氏らのグループは集団離党した。「綱領がなく政党の体を成さないまとまりのなさ」を自民、公明から批判され、12年12月に野田佳彦政権下で衆院選に入る際の政権公約(マニフェスト)で「基本理念」が半ば綱領として蘇(よみがえ)り、下野してから正式に綱領を定めた(13年2月)。海江田前執行部はまた、対立から分裂が起きない党運営を求めて党改革に着手した。

 代表選にいち早く立候補表明した細野氏は昨年夏に維新との野党再編に前向きな発言をしたが、代表選の論戦過程で再編論は封じ込められた。民由合併の顛末(てんまつ)がトラウマと化しての「原点回帰」だが、これも国民から見れば民主党の党内事情であり、ダイナミズムを欠いた話である。

解説室長 窪田 伸雄