民主党の代表落選、厳しい小選挙区制の審判

第一野党で戦後独立から初

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記者会見でうつむく民主党の海江田万里代表=15日午後、東京・永田町の同党本部

 民主党の機関紙「プレス民主」12月19日号は、「第47回衆院総選挙11議席増に」の主見出しも控えめで、サブ記事の「海江田代表が辞意表明――代表選実施へ」の見出しと海江田代表辞任会見の写真が重苦しい。

 民主党の海江田万里代表の落選は特筆される。第一野党の党首落選は、1949年1月に衆院選で111議席から48議席と惨敗した社会党の委員長・片山哲元首相が落選して以来。当時は戦後占領期の新憲法下でどの党も新党めいており、政党の流動化も目まぐるしく、公職追放で立候補できない実力者がいたり、女性が参政権を得るようになるなど民主主義の試運転状況だった。言い換えれば、日本が講和条約発効で52年に新国家として独立してから初の第一野党の党首落選だ。

 海江田氏落選は小選挙区制度導入後の選挙の厳しさを物語る側面もある。これまで衆院選で、自民から民主、民主から自民へと振り子現象が起こるたびに結果が極端に出る小選挙区制の典型例として、93年カナダ下院選がよく指摘されてきた。カナダ初の女性首相、当時40代で衆目を集めたキャンベル首相が落選、率いる与党はわずか2議席と完敗した。比例代表を並立しない単純小選挙区制度なので過剰な結果が出た。

 党首落選の事態を踏まえると、前回12年衆院選で57議席に落ち込んだ民主党で野田佳彦首相(当時)はよく生還を果たした。09年衆院選の麻生太郎首相(同)もそうである。小選挙区だけを見ると12年は自民237、民主27、09年は民主221、自民64。両党首は負けた選挙の小選挙区で当選した。

 我が国でも小選挙区時代になり党首落選が現実のものとなったからには、民主党の次期代表には小選挙区に強い議員を選ぶか、あるいは次期代表から共産党のように比例区で党単独1位候補にするか検討の余地があろう。議席が増えても、代表落選で任期途中の交代ではマイナス・イメージのうえ党運営に打撃となる。

 機関紙から受ける海江田代表の2年間の印象は、反省・総括・提言を受けている間に過ぎたようなものだ。政権を失った衆院選後の全国反省行脚、参院選後も反省行脚、党再建の議論と第3者による党改革創成会議(議長・船橋洋一日本再建イニシアティブ理事長)などの提言を受けて、やっと統一地方選の態勢を整え民主党を再生しようとしたのが9月の臨時国会前の両院議員総会だった。

 その前の7月31日の両院議員懇談会で海江田体制続投を決めたあたりから、安倍首相は「解散」を考えたのかもしれない。参院選敗北から引責猶予の1年が経ち、党内の代表交代論や結いの党、日本維新の会の一部との再編論を海江田執行部は抑えた。

 臨時国会では「反転攻勢」に挑んだが、衆院解散の流れになり、プレス民主11月21日号は「大義なき投げ出し解散」の見出しで「突然降って湧いた解散の話」に怒りをにじませた。多くの場合、野党第一党は日頃「政権を早期解散に追い込む」と意気込むものだが、海江田民主党は間に合わなかった。

解説室長 窪田 伸雄