公明党結党50年、「党創立者のもとで節目」

政教関係に葛藤した宗教政党

 公明党の結党50年を記念する第10回全国大会が9月21日に行われ、山口那津男代表あいさつ、井上義久幹事長報告の全文が機関誌「公明」11月号に載った(結党は1964年11月17日)。

 代表あいさつ、幹事長報告とも与党馴(な)れした政策遂行者の弁で綴(つづ)られているが、結党50年に関するくだりを「山口代表あいさつ」から引くと、「公明党は庶民の中から誕生」し、「50年という歴史を刻み、党創立者のもとで節目を迎える政党は唯一、公明党だけ」と述べ、庶民と党創立者の存在を強調した。

 理念は、「草創期以来、『生命・生活・生存を最大に尊重する人間主義』を政治理念とする中道政治を貫いて」おり、「『生命』とは個人の幸福、『生活』とは家庭や地域、社会の繁栄、『生存』とは国家、地球環境の維持・発展」で、「一人の人間から…地球全体をも視野に入れて政策遂行」をめざすと力説している。

 「代表あいさつ」では「党創立者」の表現にとどめているが、同誌はこれまで「党創立者」は池田大作創価学会名誉会長と明記している。ならば、産みの親の「庶民」は票を投じた創価学会員で、政治理念にもその教えがにじんでいよう。

 同誌の「公明新聞党史編纂班」による連載「『大衆とともに』公明党の歩み」では、1962年9月13日に豊島公会堂で開かれた公明政治連盟(公政連)結成第1回全国大会で来賓あいさつした池田氏(当時、創価学会第3代会長)の「大衆とともに」のフレーズが「公明党の原点」(同誌12年11月号)と述べている。この「原点」には「偉くなったからといって、大衆から遊離して、孤立したり、また組織のうえにあぐらをかいたりするような政治家には絶対になっていただきたくない」と、信者の票で政治家となる信者への戒めがある。この“掟”のためか、「結党50年」党大会の記事に歴代委員長の業績がない。

 宗教政党に宿命的な「政教」批判を自民、民主、共産など各党から受けたことには、今年の11月号でも「党史編纂班」が反論。その中で「矢野元委員長が政界引退後に『文藝春秋』に書いた手記の中で『政教一致とも言われても致し方ない面がある』などと、あたかも党と学会に問題があるかのように記した」「その“矢野手記”を振りかざして公明党と創価学会攻撃を行う」自民・共産の国会議員がいたとの指摘がある。

 歴代委員長では矢野絢也氏の前の竹入義勝氏は除名された。造反者除名の先駆けは88年に「文藝春秋」で池田氏を批判した大橋敏夫衆院議員だった。除名理由はさまざまだが根底には創価学会が日蓮正宗から91年に破門される過程の宗教的動揺があった。造反劇が他党で起きる政治対立と違い特徴的だ。その後、公明党は政界再編に飛び込み、細川・羽田連立政権を経て94年、新進党に合流し解散した。

 再結成した98年の翌99年以降は自公連立・連携を選択。政教関係に葛藤(かっとう)しながら政権を展望した90年代の結論だったと言える。

解説室長 窪田 伸雄