高等教育の無償化に物申す
NPO法人修学院院長・アジア太平洋交流学会会長 久保田 信之
魂の育成が教育の原点
「専門学校」改革で負の連鎖断て
憲法改正の機運に乗じてか「教育を受ける権利、教育を受けさせる義務、義務教育の無償化」を定めた第26条を改正して「高等教育の無償化を掲げるべきだ」という意見が、主として野党、護憲派諸氏の中から真面目に取り上げられているようだ。
この主張の論拠は、「教育ハ財本ナリ」といったあの明治の思想を踏襲しているものだか、「個人の平等」「基本的人権の尊重」を主張する思想家諸氏によって補強されたものだ。
最近の経済格差の拡大や貧困層の増加は確かに無視できない。教育を貧困から脱出させる有効な手段と位置付け、貧富の差をもたらす「負の連鎖」を断ち切る有効な方策としたからこそ、憲法に「教育を受ける権利」を定められたとも言える。にもかかわらず、教育費の高騰は、等しく高等教育を受ける権利を奪っているではないか。この許されざる憲法違反の状況を改善するために『高等教育の無償化』を主張する。以上が「高等教育無償化を推進しよう」とする人々の論理であると言えよう。
「教育をすべての人に Education for All」から「高等教育をすべての人に Higher Education for All」へ移行して、高等教育への進学率を高めて、資質の高い労働者、消費者を多数輩出したことが「目覚しい繁栄の源泉」である、と戦後の日本はアメリカを称賛し模倣したのだ。
昭和20年以降の「日本の教育界」は、戦前の日本を支え育ててきた「伝統的日本の教育」を高く評価するどころか、間違っていたとか遅れているのと卑下する発言を連発してきた。
そもそも、魂の育成であり人格形成そのものである「教育」、特に初等・中等教育は、その国独自の文化的、精神的伝統が大きな成立要素になっている。『温故知新』は、人間形成が、歴史的伝統の上になされるものであるという「万国共通の普遍的真理」を表した言葉なのだ。
教育は伝統文化、歴史に根差すものだ、という鉄則は、歴史の乏しいアメリカにおいてすら、尊重されてきた。
いわゆるアメリカの教育理念も例外ではない。広大な荒野に少数の人間が挑んだ国造り。文化的背景を異にする移民の絶え間ない流入。こうしたアメリカ独自の条件の中で形成されたのがアメリカの自然科学・技術を中心においた教育理念と制度であったのだ。独特の生活環境の改善に高等教育も寄与すべきとして「ヨーロッパとは違う大学教育の確立」に大きな一歩を記したのはA・リンカーンであった。彼の決断によって、今日のアメリカの経済的繁栄を成し遂げる道筋が出来上がったのだ。
自然科学・技術といえども無国籍ではない。この領域を担う研究者、指導者の思考回路・論理的プロセスは、独自の文化的、歴史的背景といった特殊性が息づいているのだ。
ノーベル賞を受賞した多くの自然科学者は、自分たちの業績は、日本文化、伝統の賜物(たまもの)である。日本文化伝統が、日本人独特の思考様式、論理展開を形成してきた、と等しく述懐していることを忘れてはならない。
残念ながら、昭和20年以降の日本は、アメリカを表面的に模倣したため、「教育界の混乱」は他国に比してことのほか深刻だ。日本の良さも、アメリカの良さも育っていない。初等・中等教育は、教育を放棄し世界一堕落した高等教育・大学に翻弄(ほんろう)され従属している。
教師諸氏も魂の育成という『教育の原点』を忘れている。多くの学校経営者は、教育理念などかなぐり捨てて学校を「カネ儲けの手段」としか考えない「学校屋」に成り下がっている。さらに言えば、自らの魂を育成し、知的訓練を重ねて広い視野とたくましい創造力を養う「貴重な一時期」と位置付けようともしない「意欲の乏しい、成長力のない学生諸君」。この、馴(な)れ合い凭(もた)れ合いが「日本の学校」になっているのだ。
価値の多様化により、教育研究組織である大学は、肥大化の道を辿(たど)る宿命を持っている。「学生納付金」には限界がある。となれば、学生数を増加するほかはない。しかし、学生数を増やすためには、立派な福利厚生施設や運動施設も増設しなければない。若者が飛びつくような学科を増やし、人気タレントのような教授陣を用意しなければならない。これには多額な資金が必要だ。
日本の教育機関はますます低俗な、いいかげんな内容のものになっていかざるを得ないようだ。こういった「負の連鎖」を断ち切らずに、国有化、国立学校への道を助長するわけにはいかない。
行き詰った時には「原点に戻れ!」。日本を支えてきたのは地に足の着いた「専門学校」だったはずだ。人文科学、自然科学さらには社会科学の分野でも、専門領域は細かく分離して発展している。学問領域の細分化に適合したブドウの粒(クラスター)のような高等教育機関に改革するのも一案だ。高度な専門性を徹底して訓練する教育機関に改組することこそ、「負の連鎖」に苦しんでいる大学を、否、日本全体を活性化する道だと言いたい。いずれにせよ大学のアメリカ化を助長する「高等教育の無償化・国有化」だけは絶対に避けなければならない。
(くぼた・のぶゆき)