西郷隆盛の生きざまに学ぶ

加藤 隆名寄市立大学教授 加藤 隆

新渡戸・内村が称賛・心酔
勇気と品性教えた薩摩教育

 明治のキリスト教徒として国内外に知られた新渡戸稲造と内村鑑三が、期せずして同一人物を第一級の日本人だと称賛してやまなかったのは興味深いことである。その人物とは西郷隆盛である。新渡戸は明治32年(1899年)に英文で発刊された有名な著書『武士道』の中で、西郷を典型的な一人の武士として称賛している。つまり、武士道の中核は西郷だというのだ。そして、内村もまた、明治41年(1908年)に『代表的日本人』を著し、そこで取り上げた5人の日本人の最初に西郷を立てている。「ある意味では1868年の日本の維新革命は西郷の革命であったと言えるのではないだろうか」という表現にも内村の心酔ぶりを見ることができる。

 しかし、考えてみると、新渡戸も内村もキリスト教徒である。そうであれば、第一級の人物として、著名な宣教師やクラーク博士のような教育者を取り上げるのであれば合点もいくが、西郷なのである。おそらく、彼らが西郷を思慕し、称賛してやまないのは、単に明治維新の政治的立役者であるとか、陸軍大将になっても質素な生活を送ったなどという教科書に載っているような評価からではなく、西郷自身の言葉を借りれば、「人を相手にせず、天を相手にせよ」のように、人間として成熟した像を西郷の生きざまに見たことにあったのではないだろうか。そのことを二つの視点から考えてみたい。

 第一は、西郷が薩摩で身に沁(し)み込ませた教育のことである。NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」でも歌われていたが、薩摩には有名な童歌がある。藩校に入るまでの郷中教育で盛んに歌われたものである。「哭(な)こかい、跳(と)ぼかい、哭こよっか、ひっ跳べ」(泣こうか跳ぼうか、泣くより跳んでしまえ)子どもたちは、小川を跳び越える時、あるいは、高い塀から飛び降りる時に皆で歌ったという。つまり、泣くくらいなら跳んでしまえということなのだ。行動主義であり、薩摩教育では勇気あることが最大の価値だったのである。

 この教えに連なるように、新渡戸は先ほど触れた著書の「武士の教育」という章で次のように喝破する。「武士の教育において、もっとも重んじられたのは品性を確立することであって、思慮、知識、弁説などの知的な才能は第二義的なものであった。智、仁、勇は武士道を支える三つの柱であった。要するに武士は行動の人で…」西郷の魂は、このような薩摩の教育的土壌に根ざし、養分を吸収して咲いた大輪なのである。

 翻って考えるに、今日の学校教育では人間として重んじられる価値構造がまったく逆になっていないだろうか。知識、弁説などの知的な才能が第一義になり、品性を確立するための智、仁、勇は第二義どころか風前に霞(かす)んでいる。そうであるからこそ、明治大正期の学校教育の変質ぶりを目の当たりにして、晩年の新渡戸は叫んだのである。「今日の教育たるや、吾人をして器械たらしめ、吾人をして厳正なる品性、正義を愛するの念を奪いぬ。一言にして云わば、我祖先が以て教育の最高目標となしたる、品性てふものを、吾人より奪い去りたるものなる。智識の勝利、論理の軽業、あやつり、哲学の煩琑、科学の無限なる穿究、これ等はただ吾人を変えて思考する器械たらしむるに過ぎざるものとせば、畢竟何の益がある」

 視点の第二は、文明史観に関わることである。歴史とは神意と約束に基づいた物語であり、HistoryはHis storyなのだという信念が両者に漲(みなぎ)っている。『代表的日本人』ではこう記されている。「このように、1868年の日本の維新は、永続する健全な革命がみなそうであるように、正義と神意による必然から起きたものである」と。新渡戸も『武士道』でこう語る。「神はすべての民族や国民との間に―異邦人であれユダヤ人であれ―『旧約』と名付けられている契約をもって結ばれたことを信じている」と。つまり、神に祝福されるのは欧米だけに限られるのではなく、「時」が来るならばアジアもアフリカも望ましき文明の開花が齎(もたら)されるということ、そのための精神的導火としての『旧約』がどの国にも用意されているのだという確信が彼らにはあった。そして、日本も当然にそれがあるのであり、明治期に始まる欧米文明と日本との邂逅(かいこう)を準備するような『旧約』的予言者として西郷を見ているのである。

 思うに、西郷には明らかに『旧約』的予言者の面影が見て取れる。西郷や幕末の志士の多くは儒教の中でも陽明学を行動規範の素地にしていたが、この陽明学とキリスト教が非常に重なっていることは多くの識者が言うところである。たとえば、「天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛するなり」という言葉を西郷は残している。これも陽明学の精神から生まれ出たものであろうが、ここには宗教の垣根から解放されて、広大無辺な利他の精神に生きた人物が浮かび上がってこないだろうか。

 さて、明治維新以来、我々は国家にしても個人にしても成長のスローガンで150年を駆け抜けてきた。今後も同様のベクトルを後生大事にして成長追求でいいのだろうか。西郷は我々に語りかけている気がする。「日本人よ。もうそろそろ成熟しもさんか。成長、成長と図体ばかりでかくして、実のひとつも付けもさんぞ」と。

(かとう・たかし)