憂うべき人口減時代の到来

尾関 通允経済ジャーナリスト 尾関 通允

国内経済の停滞に直結

ロボット活用など対策必要

 小児科や産科のある病院数が減り始めているとのニュースを、しばらく前に聞いた。また、それより少し前には、学習塾の数がかつてほどには多くなくなりつつあるとのマスコミ報道も耳にした。いずれもが、この国すなわち日本がいよいよ人口減少時代に徐々とながら移行し始めていることを、厳然たる事実として、われわれ国民全体に突き付けている。人口減――大変な事態にどう対応するのか、効果的な具体策の策定とその着実な推進を急がねばならない。

 ここでは、対象領域を経済の分野に限って検証を試みることにしたい。もっとも、最近は内外情勢が極めて流動性に富み、「いつ」「どこで」厄介な変動要因が突発するか予測できず、場合によっては対処困難で、日本の経済予測にも不測の狂いを生じる場面が少なからずあり得ることをお断りしておく。

 何より困難かつ厄介なことは、人口の漸減は、他の諸条件に変わりがないとすれば、国内経済の縮小に直結するに違いないことである。国内経済の縮小が、国民全体を総合した日常生活の維持に必要不可欠の生鮮食料や耐久消費財の市場の縮小に連動することは、いやでも不可避になる。多くの商品が需要の低迷に悩むこと必至で、競争からの脱落も増えよう。換言すれば、顧客の奪い合いが当然のことに厳しい。ただし、それにつれて、消費者の購入意欲をそそる新商品・新サービスの開発も進もう。すでにテレビ放送のコマーシャルには、商品・サービスにいかに特徴を持たせるか、とりわけ消費者にとっての他社製品に比べての有利性をどう印象づけるかに、苦心している気配が見える。例えばウィスキー・メーカーやフィルム・メーカーなどが健康食品などの開発販売に進入している。また、それとは別に人気タレントや有名アスリートをCMに出演してもらう事例も多い。

 住宅は、より住みよい住宅への移動が現在進行中の一方、空家も増加中で、居住者のいなくなったままの空家の取り壊し処分が、全国各地で進行中。空家率が低ければ勤労者の勤務地異動に差し支えを生じる。が、空家率が高くなれば、これまたその地域での厄介者になることを免れない。かつ、住宅建設会社にとっては競争激化が必至で、その兆候は、徐々にながらすでに表面化し始めている。

 学習塾経営企業に事業縮小の気配が現れていることはすでに述べたが、雨後のタケノコのように増えた大学も、遠からず整理・統合を免れまい。社会に存在意義を認められないような大学とその大学で働いている教育者や職員にとって、次の職場探しは容易ではあるまい。

 人口減のはね返りは、もとより産業界にも及ぶだろう。必要な人材の確保は、先端技術の利用や目下開発進行中の高性能ロボットの導入活用で補うことができよう。とりわけ、自然人としての人間の健康に悪影響のある作業の部門では、ロボットの活用は欠かせない。とはいうものの、それには企業力ほかおのずから限界がある。そうかといって、質のよくない労働力利用も容易なことではあるまい。

 海外労働力の導入は、すでに研修を兼ねての分野を含めて進行中だが、研修に名を借りて低賃金で働かせる事例もあり、風俗習慣の違いからの制約もなくはない。多くは望めまい。逆に、日本企業の海外展開とともに、人材の海外への流出も、国内人口のささやかながら減少要因になっている。

 その日本企業の海外展開だが、展開の余地と展開の能力は、まだ十分以上にあると推測して間違いあるまい。ただし、昨今は国際情勢が不安定時代に突入している。不安定情勢が継続するだろうとすれば、日本企業の海外への多角展開の先行きにも、おのずから限界ないしは厄介な壁があるものというべきではないだろうか。

 人口減は、他の諸条件に変わりがないと前提すれば、国民経済規模のジリ貧状況への移行を不可避にする。重大かつ克服の容易でない時代の到来である。問題の根源が「少子化」にある以上、早急な状況改善は不可能という以外にない。国民経済を拡大再生産軌道に乗せることは、海外情勢のいわば“様変わり”的な急速かつ大幅な改善がない限り、至難の業だと承知せざるを得まい。

 加えてこの国は高齢者層が増加する状況に入っている。医療費負担は必然的に増えていく。現役世代の負担増は、これも不可避という以外にない。

 政府が「一億総活躍社会」「地方再生」の実現を唱え始めるに至った背景には、人口減が引き起こすに違いない国民経済への様々な困難への危機感がある。「人口減少時代にどう立ち向かうか」の問題は、すでに昭和40年代後半に当時の有力財界人の一部から提起されたが、当時これに耳を傾けるエコノミストは、筆者の知る限り全くなかった。実効性のある施策の実現を急がねばならない。

(おぜき・みちのぶ)