まだ若い東京株式市場相場

尾関 通允経済ジャーナリスト 尾関 通允

表面的には順調な回復

気になる円のレートの行方

 東京株式市場が順調な相場展開の状況で推移している。これを代表的な指標である日経平均株価225種の動きでみると、日本経済を取り巻く内外環境条件が少なくとも表面的にはいい方へ向かっているのを好感してか4月10日に一時的に2万円台を回復したあと、しばらく伸び悩みに転じたが、同22日には終値でも2万円台乗せを記録した。

 株式相場の先行きは、だれにも断定的には予測できない。国内ならびに国際経済社会に相場の動きにかかわる出来事(市場用語で材料という)が、いつ・どこで・どの程度の規模で飛び出すか、それに対して大口の投資機関がどう反応するか、それが分からない以上今後の材料がどう出るか、例えば経済大国の状況(米国やEU主要国)や「イスラム国」の動向とその影響いかんなど、要注視材料のこれからには目を離すことができない。

 そうは言いながら、大方の予測を越える突発的な材料とりわけ大きな悪材料の発生がないと仮定すれば、東京株式は表面上は順調な回復軌道上にあるものと認めてよかろう。ただし、最近時点でも、一応は念頭に置いておきたいことがある。

 という理由の一つは、現政府の政策意思に基づく“人工相場”的なきらいが少なからずあると考えざるを得ないからである。その最たるものが、改めて指摘するまでもなく長期に及ぶ超々低金利政策つまりゼロ金利政策の効果で、これが株価の動きに及ぼしている影響は、一般の想像を超えて大きい。まず、輸出産業ならびにその主要関連企業とその従業員が円安の利益でうるおっている。

 もう一つ。それとは気付いていない投資家も少なくはないことだろうが、日本の株価が仮に“横ばい状態”のままだと想定して円安が進行した場面を想定してみるがいい。とりわけドル圏の投資機関や投資家の側から計算すると、ドル換算での日本の株価は円安進行とともに大きく低下している計算になる。反対に円安修正の局面では割安感が減少していく。それがドル圏からの日本株売りに直結する可能性は軽視できまい。

 もっとも、日本経済が好況期・高配当期に現実に移行している段階でなら、海外からの日本株売りは国内投資家にとっての“買い場”になる可能性があり、その場合、いわゆる大商い・大相場の活況ということも、理屈上はあり得よう。ただし、現況で判断すれば、そんな大相場は、とりあえず“夢のまた夢”に等しかろう。

 話を戻して、円安誘導のほかに、政府による公的年金基金の株式市場への投入増の効果も見逃せない。これも、株式市場が順調に推移していることの一因になっていることは、確かな事実。また、NISA(少額投資非課税制度)の導入でいわゆる素人投資家の市場参加が増え、それはそれでそれなりに株式市場の順調な展開に役立っていることも、事実には違いない。

 話は分散したが、筆者の強調したいことを要約すれば、第一に、表面上は順調に上値追いの展開をしているかに受け取れる株式市場の動きの背後に、今後の材料の出方いかんでは無難に乗り切ることが容易ではない場面もあり得る点、要注意・要警戒だろう、ということである。とりわけ、ドル圏からの対日株式投資の先行きには、よくよく注意したい。

 第二には、昨今の市場の順調な動きをもって、政府の経済運営策がうまく展開していることを好感しているから――とする見方が浅薄ではないか、ということである。市場が順調に動いていること、NY株の動きに注意しつつも熱狂相場というには程遠く冷静さを維持していることなど、いずれもそれなりに評価できようが、半面、明らかに政策意思に基づいた直接間接の市場への介入も見え隠れしている現況をもって、政府の政策がよろしきを得ていることの反映などとは、早計かつ浅薄ではあろう。現実に、景況は全体としてほぼ足踏みの域を出ていない。「木を見て森を見ず」の誤りを犯すなかれである。

 仮にアベノミクスが着実に成果を挙げつつあるとするなら、対外関係も含めて経済諸指標はもっとよくなっているはずだし、円安状態も徐々に円強含みに移行してくるに違いなく、その場合、海外からの日本株売りが増えるだろうものの国内投資家の買いがそれを肩代わり的に吸収するはずで、そこまでいくのでなければ、アベノミクスの成果が現れ始めたなどとは、とてもいえない。

 日本の株式市場は長い低迷状態から脱(ぬ)け出し始めた――これは、まぎれもない現実である。それだけでなく、目下の段階では市場は熱狂的にはなっていない。熱狂場面の次には往々にして反動安に急転しがちだから、現況が熱狂に移らず冷静を保っているのも、好感できる。日経平均で2万円の大台乗せでも、市場そのものはなお冷静なのは、すこぶるいい。基調を揺るがす有力材料の突発は予測できない以上、断定は不可能ながら、昨今の相場それ自体は冷静、したがって「まだ若い」と筆者はみる。

(おぜき・みちのぶ)