4人で決めたクリミア併合

乾 一宇ロシア研究家 乾 一宇

側近政治で動くロシア

首脳の人となり究明が必要

 独裁国家では、首脳が公の席に現れなくなると騒ぎになることがある。

 ロシアでは、大統領府が大統領の動静を毎日発表している。それにもかかわらず、伊・レンツィ首相とクレムリンで会談(3月5日)後、プーチン大統領は1週間以上姿を見せず、クリミア併合1周年を迎えるおり、各種の噂が飛び交った。大統領府発表では、6日安全保障会議に出席、8日の国際婦人日には多数の母親をクレムリンに招待したが、写真・映像は事前に撮影したものという。10日自治管区知事と面会、11日共和国首長と面会の写真も以前のものだと言われた。11日にはカザフスタン訪問(12~13日予定)延期をロイター通信が伝え、重病を含む異変説が一挙に広がった。

 3月16日、キルギス大統領とサンクトペテルブルグ郊外で会談、彼を車に乗せ、自ら運転してくれたと同大統領が述べ、健康問題などの噂は吹き飛んでしまった。

 プーチン大統領は記者団に「デマ(噂)なしではつまらないだろう」と嘯(うそ)ぶいた。

 この一連の騒動中に作成していたと思われるクリミア併合1周年のドキュメンタリー番組(記録映画)「クリミア、祖国への道」が、3月15日放映された。その中にプーチン大統領とのインタビューが含まれていた。「ロシアはクリミア情勢が思わしくない方向に推移した場合に備えており、核戦力に臨戦態勢を取らせることも検討していた。しかし、それは起こらないだろう、とは考えていた」(リア・ノーボスチ)を、日本では「ウクライナの東部情勢が激化した場合に核兵器を使う準備をしていた」とプーチン大統領が言明した旨を大きく報道した(核兵器保有国は、核兵器を何時でも使用可能なレベルに置いており、それを単にインタビューで答えたまでのこと)。

 このような核問題より注目したいのは、ヤヌコビッチ大統領(当時)が暴力で追放された直後、側近4名と協議してクリミア併合を決め、ただちに行動したとの発言である。この報道を見て想起したのは、ブレジネフ書記長(当時)のアフガニスタン進攻決定との類似性である。ベトナム戦争での米国の苦境を見ていたソ連は、その弱みにつけ込むようにソ連の国際的役割を新たに打ち出す。その一つがソ連軍の新しい「対外的機能」である。ソ連及びその同盟国の安全確保だけに限定せず、ソ連の国際的使命の拡大に伴い、ソ連軍は国際的使命を果たさなければならないという論理である。

 アフガニスタンへの武力行動を正当化できる根拠を整えていたが、その決断の仕方に注目したい。ロシアになって文書が公開され、その一つにアフガニスタン進攻(1979年12月)時、「オガルコフ参謀総長、エピシェフ政治総本部長がウスチノフ国防相に反対意見」を述べたとある(『ソビエツカヤ・ロシア』1989年3月14日)。また、地上軍総司令官パヴロフスキー上級大将を団長とする調査団が軍事介入の是非を調べるため、現地に入って報告書をまとめた。帰国後介入は不可との意見を国防相に提出した。だが、ウスチノフ政治局員・国防相はすでに政治局で介入を決定している、と述べ、調査団の意見を握り潰した。

 主要方針を決定する党政治局のメンバーはこの当時十数名、1979年初めにこのうちの5名(ブレジネフ書記長、首相、2名の党書記及び国防相)でさらに国防会議を構成、同会議で決定したことを政治局の会議で追認させていた。つまり、国防の重要事項はこの5名で決めていたのである。

 今回のクリミア併合措置も大衆の抗議行動が「暴力革命」に転じた翌朝の2月23日午前7時にプーチン大統領は側近4名(詳細不明)を招集し、直ちにクリミア併合への行動を開始した。まずクリミア住民の動向を探るため秘密裡に世論調査を行い、併合希望75%を得る。クリミア駐屯の露黒海艦隊部隊のほか、露軍参謀本部情報総局特殊部隊や精鋭の空挺(くうてい)部隊を半島に展開した。北大西洋条約機構(NATO)の介入を防止するかのように、半島に沿岸ミサイル・システムを展開した。クリミアでの住民投票、ロシアへの編入申し出、露国会承認と続いた。

 この一連の動きについて、プーチン大統領は、「国防省が最高度の専門性を発揮しただけではない。外務省、法務関係、内務機関なども整然と調和を保って、正確かつ厳密に、適時に行動した」と電撃的行動を称賛している。現在の安全保障会議のメンバーは二十数名である。これでは議論が紛糾、急を要する決断は出来ない(「決定権の集中」河東哲夫)。米国の安全保障会議もメンバーは4名である。アフガニスタン進攻決定との類似性があるといった由縁である。

 そうなると我々は、プーチン氏の人となりをもっと究明する必要がある。今回の核発言やクリミア併合の経緯などは、自分を予測不可能な人間と見せかけ、欧米に恐怖を与える行動かもしれない。米国中央情報局(CIA)には「性格・政治行動分析センター」があり、また国防総省のプーチン氏を分析した報告書(2008年作成)が本年2月に公表されている。15年前、当時のエリツィン大統領から後継者に指名されたとき、「プーチン、彼は誰なの」と西側で言われた。その疑問は現在にも当てはまる。安倍首相が国家情報機関創設を打ち出しているのも宜(むべ)なるかなである。

(いぬい・いちう)