人権に無関心なトランプ氏

アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき

加瀬 みき1

独裁者の強硬策“容認”
誘発される非人道的な政策

 サウジアラビアの反体制派ジャーナリストでワシントン・ポスト紙のコラムニスト、ジャマル・カショギ氏は10月2日、在トルコのサウジ領事館を訪れたまま行方不明になった。サウジ政府に派遣された特殊部隊員に殺害されたのをサウジ政府もとうとう認めたが31日の時点で遺体は見つかっていない。

 英国、ドイツ、フランス政府が早々にサウジ政府に真相解明を求め、ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン氏はサウジの政府系ファンドとの商談を停止した。サウジは「砂漠のダボス会議」といわれるフューチャー・インベストメント・イニシアチブを開催したが、ニューヨーク・タイムズ、CNNなどがメディア・スポンサーを降り、世界銀行総裁をはじめエコノミスト誌編集長、バイアコムやユーバーの社長などビジネス界の大物も出席を取りやめた。

 民主主義諸国やビジネス界、メディアがサウジ政府を非難し、制裁を求め、ビジネス関係を断つ中、トランプ米大統領の姿勢はビジネスが法や人命より重要と受け止められかねない。

 トランプ大統領は繰り返しサウジへの武器売買の重要性を強調し、ボーイングやロッキードマーティン社の契約は守られるべきだ、と述べてきた。電話でサルマン国王と会話を交わした後には、国王はこの件とは何の関わりもないと述べ、既にサウジ政府の責任は間違いないと思われていたにもかかわらず、無法者たちの仕業かもしれない、とまで語った。

 カショギ氏の死亡を認めるまでに2週間以上かかり、ポンペオ米国務長官がサウジとトルコを訪問した後、サウジ政府がカショギ氏は領事館内での喧嘩(けんか)の結果死亡したとして責任者18人を逮捕したと発表すると、「素晴らしい第一歩」と評価し、武器売買は制裁の一部になるべきではないと発言している。ムニューシン米財務長官は「砂漠のダボス会議」そのものには出席しなかったものの、開催時にサウジを訪れムハンマド・ビン・サルマン皇太子(MBS)と面談している。

 サウジはそもそも決して民主主義的な国ではない。イエメンでの戦争で多くの民間人を殺害し、レバノンの首相をサウジに召喚し辞任させ(その後辞任撤回)、国内では反政府活動家を厳しく取り締まっている。しかしアメリカにとっては冷戦中の同盟国であり、石油と武器売買という固い絆がある。イランは両国にとって共通の敵である。

 とはいうもののサウジはこれまでは人権擁護、民主化を推進してきた。実質的指導者となったMBSは女性の運転を認め、汚職や腐敗を取り締まり、近代化、民主化を進めるかのようであった。ところが徐々にそれは表面的であり、実は他の王族や富豪、官僚などをホテルに監禁し、女性の運転の自由を求めてきた人々を含め自由民主化を求める活動家を大勢逮捕させるなど、強権政策が目立つようになってきた。

 トランプ大統領はこれまでのアメリカの大統領と大きく違い、人権に全く関心がなく、強権・独裁政治を施行するストロング・マンに同調する。MBSの強引で非民主的な政策はそのトランプ大統領の言動で勢いづいたとされる。

 トランプ大統領の初外遊の最初の訪問国はサウジだった。そこでアメリカは自国の習慣を他国に押し付けないと述べ、民主主義的基準を用いないことを明らかにしている。MBSの訪米中もトランプ大統領は一度も人権や民主主義を口にしていない。オバマ前政権がイエメンでのサウジによる民間人殺害後に停止していた軍事攻撃時のターゲティングや給油支援を再開した。さらにトランプ大統領がマスコミ嫌いで「市民の敵」と攻撃しているのはサウジ政府にとり好都合だったであろう。この大統領ならカショギ氏を暗殺してもビジネス関係もあり、大きな問題にはならない、と計算したという見方もある。

 トランプ大統領は他にも北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長との温かい関係を自慢し、自国の諜報(ちょうほう)機関がアメリカの選挙への不正介入を指揮した張本人とするプーチン露大統領を決して非難しない。同じく自国の市民を不当に取り締まるドゥテルテ・フィリピン大統領とも気が合い、大統領の権力を大幅に拡大することを認めるトルコでの国民投票が国際基準に至らないと批判されたにもかかわらず、先進民主主義国指導者では唯一エルドアン大統領に祝福の電話をした。

 ワシントン在住のアラブ系アメリカ人ジャーナリストのヒシャム・メルヘム氏は、中東諸国は西側からどう見られるかに注意を払うが、何といってもアメリカの批判が非常に重要と語る。しかし、あるアラブの外交官に行方不明の学者のことを問うた際、トランプ大統領は学者などが不当に投獄されてもその国の指導者に問い合わせることはしない、と語っていた。それが全てを物語っている。プーチン氏や金正恩氏も圧力がかからないと分かっていれば何の遠慮もなく強硬政策を取る、とアメリカの姿勢が他国の指導者の言動にいかに影響を与えるかを説明する。

 アメリカの大統領という人権や人命の擁護者がそっぽを向き、世界各地の暴漢が大手を振るようになっている。

(かせ・みき)