米国のリベラルの矛盾 個人の自由、家族崩壊招く
軍の権威は左右ともに認める
昨年、「宗教国家アメリカのふしぎな論理」(NHK出版新書)を出した国際基督教大学学務副学長の森本あんりが「Voice」2月号の「著者に聞く」の中で、米大統領選挙におけるドナルド・トランプの勝利について、キリスト教神学者ならではの興味深い分析を行っている。
米国においては、経済的に成功することは「アメリカン・ドリーム」を成し遂げること。その体現者であるトランプは、米国人の宗教観からすると、「神から特別な祝福を受けている存在」と見なされるのだという。
ツイッターや記者会見で奔放な発言を繰り返す米大統領の姿を批判的に、あるいは誇張して報じる日本のメディアに接している日本人の目には、彼のイメージは敬虔(けいけん)な宗教者のそれとは大きく懸け離れているように映る。しかし、キリスト教が土着化した米国における勝ち組の論理や「富と成功」の福音からすれば、「神から特別な祝福」を受けている人物となる。
このギャップは大きいのだが、森本が指摘するような米国の信仰的な背景を知ると、先の大統領選挙で多くの福音派の人々がトランプに投票した理由が少しは理解できよう。もちろん、それは、トランプがホワイトハウス入りできた要因の全てではない。
森本は「トランプ氏は、ポピュリズムを利用するのも非常に巧み」と言っているし、トランプ勝利の最も大きな要因は「オバマ疲れ」だったとも言っている。オバマ疲れとは何かといえば、「リベラル疲れ」である。つまり、少数民族や性的少数者(LGBT)への支援などに見られるポリティカル・コレクトネス(PC、政治的正当性)の行き過ぎによって生まれたリベラルへの反発で、それがオバマ政権の継承者であるヒラリー・クリントンの敗北に繋(つな)がったのだ。
森本はさらに、その背景として「リベラリズムの根底にある意志力崇拝や設計主義への反発」や「パーフェクショニズム(完璧主義)」に対する疑念があるとした。その一方で、保守主義には「こうした人間の能力に対する過信を本来的に警戒」があるとも指摘する。
米国には、リベラルなエリートが支配するメディアを監視する民間団体が多いが、主にそれはキリスト教保守派の人々である。そこからも、メディアと対立したトランプを、保守派が支持した構図がうかがえる。ただ、筆者(森田)が森本の著書を読んで、一つ残念だった点がある。宗教の視点から米国の家族に踏み込んだ分析がなかったことだ。キリスト教の価値観と家族の絆を大切にすることとは深く結びついており、米国の宗教を分析するなら、家族の問題を除外することはできないと考えるからだ。
米カリフォルニア州弁護士でタレントのケント・ギルバートは「Voice」2月号で、米国のリベラルの矛盾を、「家族」の視点から分析した論考を発表している(「『リベラル』先進国の矛盾」)。
リベラル派の特徴は、個人の自由と権利の重視やマイノリティー優遇策があるが、ギルバートはそこから過剰な保護政策が生まれて、社会から自立心を奪い去って「依存の負の連鎖」が繰り返されている、と指摘する。
例えば、リンドン・ジョンソン大統領が掲げた「偉大な社会政策」の一つ、未婚の母に対する保護政策がある。米国では、それが行き過ぎた結果、生活保護を目当てに結婚せずに子供を産む女性が増え、特に「黒人社会において家族を崩壊」させた。
この政策については、クリントン政権時代に見直しが行われ、各州が生活保護に条件を設けるようになったが、リベラル派の唱える男女平等が離婚を増やすなど、大勢の子供を不幸に陥れる流れは今も続いている。
もともとキリスト教社会である米国は「家族」を重視してきた。それは「家族とは、創造主の地上における計画の中心をなすものであり、日常生活における教会の目的は『健全な家族の生活を支えること』」という宗教観から生まれており、米社会にとって家族とはそれほど重要なのだ、とギルバートは訴える。
さらに、「多くのキリスト教の教会で家族の大切さが強調されていますし、そうした価値観を大切にするアメリカ国民は現在も多いのです。そのような人びとがトランプ大統領を支持した」としながら、彼が単なるポピュリズムで当選したのではないと強調している。
米国の保守とリベラルの違いはよく「小さな政府」と「大きな政府」という言葉で言い表される。信仰を土台にしながら、健全な家庭で自立心のある人間を育てることが一つの理想であるとすれば、それは当然、小さな政府に繋がっていく。
ギルバートはまた、アメリカン・ドリームと家族との関連性についても言及している。アメリカン・ドリームとは「どん底から這(は)い上がって成功すること」としながら、その最も重要な要因は、両親が揃(そろ)った家庭で育てられたかどうかだというのである。
その裏付けに、ギルバートはある経済学者が行った調査を紹介している。住民の経済的なレベルを下から上まで五つに分類。そして、都市別に24歳までに最下位から最上位に上昇した人の割合を比較したのだ。その結果で、モルモン教会の信者が多いことで知られるユタ州ソルトレークシティーが最高位になった。同州では、8割の家庭で夫婦が揃っている。ちなみに、首都ワシントンDCは4割しかない。
また、ユタ州は生活保護の受給率が米国で最も低い州の一つだという。その要因は、モルモン教会独自の相互扶助とともに、「最大の理由は、『家族』と『家』にあったのです。ユタ州は比較的離婚率が低く、伝統的な家庭が維持されている。家族を大事にする生き方が、失業をはじめ、社会からの脱落者の増加を食い止めていたわけです」と説明している。これは説得力がある。
そして、ギルバートは「たとえ、自分の両親が揃っていなくても、周りの家の大部分が揃っていれば、そちらが理想に見えます。やはり、地域社会は大きな影響を及ぼします」と、地域社会の重要性に言及し、「個人の権利と自由を無責任に訴えるリベラルが、いかに現実を見ない空想にすぎないかが理解できる」と断じている。そんなことを日本の政治家が口にすれば、リベラル派の野党やメディアから、母子家庭あるいは父子家庭への「差別だ」と激しい攻撃を受けることを覚悟しなければならないだろう。
家族の価値よりも、個人の自由や権利を重要視する点では、日本のリベラル派も米国と同様だが、大きな違いが一つある。軍人を尊重することだ。この点では、森本とギルバートで見方が一致する。
「軍は聖なるもので、ほとんど宗教的な権威です。自らの命を擲(なげう)ってでも国家のために戦う人たちを軽蔑することは、思想の左右に関係なく、アメリカでは強いタブーです」(森本)
「身を挺して国防を担っている軍隊を侮辱するような発言をすれば、民主党、共和党を問わず、国民の信頼を失いかねません。日本と異なり、アメリカのリベラル(民主党)が安全保障を疎(おろそ)かにすることはまず考えられない」(ギルバート「リベラルの虚妄を正せ」=「Voice」1月号)。これだけは日本のリベラル派も、米国に見習うべきだ。(敬称略)
編集委員 森田 清策