「衝突事件」の現場、故郷の英雄をごみ扱い
米首都ワシントンから南西に車で約2時間半。第3代大統領トーマス・ジェファソンが設立したバージニア大学のあるシャーロッツビルは、気品に溢(あふ)れた美しい学生街だ。
この街が昨年8月12日、全米を震撼(しんかん)させる事件の現場となった。南北戦争の南軍司令官だったロバート・E・リー将軍の像撤去をめぐり、白人至上主義者らとその反対派が衝突したのだ。事態はエスカレートし、極右思想に傾倒していたとみられる男が暴走させた車が反対派の集団に突っ込み、1人が死亡、19人が重軽傷を負う惨事となった。
人種問題をめぐる深刻な米社会の分断。マグマのように鬱積(うっせき)する不満と怒りは、何らかの拍子で暴力の形で爆発してしまう。そんな現実を露呈したこの事件の現場を歩いてみた。
「ヘイトはもういらない」「いなくなってしまったけど、忘れないよ、ヘザー」
現場近くの建物には、犠牲になったヘザー・ヘイヤーさんへの追悼メッセージやヘイトに反対する言葉が壁一面に書かれていた。
事件が起きた通りは、商店街から下り坂になっており、男が運転する車はこの坂を猛スピードで下り、行進していた反対派に突入した。上空から騒動を監視していたバージニア州警察のヘリが市郊外で墜落し、警官2人も亡くなっている。
事件後、ヘイヤーさんを追悼するため、通りの名称は「ヘザー・ヘイヤー・ウェイ」に改められた。
この場所から数ブロック離れた所に、事件の「発火点」がある。リー将軍の銅像がある公園だ。
市議会は昨年2月、1924年に設置されたリー将軍像を撤去することを決定。同6月には、公園の名称を「リー公園」から「解放公園」に変更した。これに反発する白人至上主義者らが同8月14日に公園に結集。白人至上主義者の集会としては「過去10年間で最大」(米メディア)の規模となった。
これに対抗し、反人種差別団体が抗議行動を展開。州当局は多くの警官を動員して対応に当たったが、惨劇を防ぐことはできなかった。
市は像撤去を決めたものの、州法には元軍人の記念碑を撤去することを禁じた規定があるため、事件発生後、暫定措置としてリー将軍の像を黒いシートで覆った。
「まるで巨大なごみ袋」――。これはシートに覆われた像を目の当たりにした時の率直な印象だ。高さ約8㍍もある大きな像が真っ黒なシートに包まれている光景は異様であり、地域の景観を損ねているのは明らかだった。数ブロック離れた所にある南軍のストーンウォール・ジャクソン将軍の像も同じ扱いを受けていた。
「美しい像だっただけに残念。ほとんどの住民は撤去に反対だったけど、声高な一部の人が市議会に詰め掛け、撤去を決めさせたのよ」。近所に住むフィリスさんという女性が、像は住民の間で親しまれていたと教えてくれた。
裁判所の命令で、今は黒いシートは取り除かれている。ただ、州法との関係もあり、像が撤去されるか、維持されるかはまだはっきりしない。
リー将軍らが奴隷制度存続を主張する南軍の代表だったことは事実だ。また、極右の男が起こした暴力は許されるものではない。だが、バージニア州のために戦った故郷の英雄をごみ扱いしていいのか。事件現場を見て回った後に残ったのは、何とも言えない違和感だった。
(編集委員・早川俊行)