リー将軍の功績、戦後の南北和解を後押し

米国の分断 第1部 断罪される偉人たち (3)

 米国の戦没者が眠るバージニア州のアーリントン国立墓地。首都ワシントンを一望できる高台に「アーリントン・ハウス」と呼ばれる建物がある。

アーリントン・ハウス

米バージニア州のアーリントン国立墓地にあるロバート・E・リー将軍の邸宅「アーリントン・ハウス」

 ギリシャ復古調の立派なこの屋敷は、南北戦争の南軍司令官ロバート・E・リー将軍が30年間暮らした邸宅だ。今はリー将軍の記念館として国立公園局によって管理されている。

 リー将軍は、この邸宅に「世界の他のどの場所よりも強い愛情と愛着」を抱いていたが、1861年に南北戦争が始まると、北軍に占領されてしまう。周囲は溢(あふ)れ出る戦死者の埋葬地となり、国立墓地として今日に至る。

 米社会を分断する「歴史論争」で、左翼勢力の標的となっているのが、このリー将軍だ。昨年8月、同州シャーロッツビルで、リー将軍の銅像撤去をめぐり死傷者を出す衝突が発生したことも、その風潮を加速させた。

 そもそも、リー将軍は公共の場からその存在を消し去らなければならないほどの大悪人だったのか。

 奴隷制度と人種差別の象徴と見なされるリー将軍だが、実際は南部州が連邦から脱退することに反対していた。奴隷制度の存続を熱烈に支持していたわけでもなかった。奴隷を所有しながらも、奴隷制度を「道徳的、政治的に邪悪」と見なし、いずれ解放されることを望んでいた。

 それでも南軍のために戦った大きな理由は、自分のルーツである故郷バージニアに対する強い忠誠心からだ。リー将軍は書簡で「自分の生まれ故郷、家庭、子供たちに手を上げることはできない」と記している。

 国立公園局の職員によると、アーリントン・ハウスには水色の壁の部屋があり、リー将軍はそこで陸軍への辞表を書いたという。バージニアの連邦離脱を嘆きつつ、自らと家族の運命を南部連合に委ねることにした。まさに苦渋の決断であり、辞表を書くのに「長い夜を過ごした」(同局)とされる。

 「リー将軍の最も偉大な業績は、戦争ではなく平和にある」――。南北戦争に関する著作がある歴史家のジェイ・ウィニク氏は、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載された評論で、こう指摘した。

 リー将軍は1865年4月に降伏するが、南北間の対立や緊張は依然深刻だった。南部連合のジェファーソン・デービス大統領は、ゲリラ戦による徹底抗戦を呼び掛けていた。ウィニク氏によると、実際に「南部がゲリラ戦を行っていたら、米国は二つの国家に分かれていた可能性が極めて高い」という。つまり、米国は今なお南北に分断し、超大国としての米国は存在しなかったかもしれないのだ。

 米国の未来を左右する重要な局面で、ゲリラ戦に反対し、南北和解と国家再建を後押ししたのがリー将軍だった。保守系ニュースサイト「デーリー・シグナル」のエディター、ジャレット・ステップマン氏は「ニューヨークからカリフォルニアまで、すべての人が米国民として再び一つの国旗の下で暮らせるようになったのは、リー将軍のような人物がいたからだ」と強調する。

 アーリントン・ハウスとポトマック川の対岸にあるリンカーン記念堂は、1932年に完成したアーリントン記念橋で結ばれた。リンカーンとリー将軍の間に橋を架けることで南北の再結合を象徴したのである。

 ウィニク氏は、リー将軍ら南軍指導者の像を撤去する最近の動きについて、こう苦言を呈した。

 「過去は現代の政治論争よりも微妙で複雑だ。世論を考慮することは重要だが、歴史を無視、曲解してはならない」

(編集委員・早川俊行)