板門店宣言後の「統一」の進路
楽観より懐疑で解決に臨め
「板門店宣言」が発表され、韓国民は楽観的な期待にみなぎっている。一部では感激で親近感を感じるとし、北朝鮮の金正恩労働党委員長を褒め称(たた)えたりもするが、本当に南北関係が思い通りに進み、北核廃棄→平和→統一が達成されるのだろうか。
まず先に北核は廃棄されるだろうか。宣言文では「核なき韓半島」が共同目標であることを確認しただけで、北の核兵器廃棄の意思は含まれなかった。いくら米国が純真でも査察なしで経済制裁は解除しないだろう。
文在寅大統領もこの点が分かっているので、「韓半島非核化」という曖昧な用語も受け入れて、金委員長と40分間の「徒歩の橋」対話で核を放棄するように説得しただろう。しかし、韓国動乱直後から始めて、多くの辛酸と苦難の末に開発した核兵器を北朝鮮が手放すことは容易ではない。
平和協定は必要だろうか。宣言には停戦協定を平和協定に転換するという内容が含まれている。しかし平和協定自体だけで平和を保障することはできない。どちらか一方が陰険な心を抱いている場合、平和協定は相手方を武装解除させるための術策と侵略の前奏曲になるためだ。
南北は1992年の「南北基本合意書」により相互尊重、不可侵、平和的解決など政治的平和保障原則に合意した。平和協定を結んだ後、国連軍司令部、在韓米軍が撤収するならば、それはドイツの侵攻を幇助(ほうじょ)した1938年のミュンヘン条約、南ベトナムの崩壊に連結した1973年パリ条約になるだろう。韓国政府はロマンチックな考えを捨てるべきだ。
最後に統一は可能だろうか。統一に対する国民の熱望はあまりにも大きい。しかし、韓国動乱と北による数多くの挑発を体験し、分断の傷は少なくない。ベトナムの共産統一は残酷な処刑を伴った。まず自由民主主義による統一を保障することが重要だ。
大部分の国民は南北関係に対するバラ色の未来に耽溺(たんでき)している。北の天安艦爆沈、延坪島砲撃など挑発と核実験およびミサイル試験発射などで、あまりにも長い間緊張しながら生きてきたためだ。
しかし希望的思考だけでは現実を変えることができない。希望が大きいほど感情よりは理性、興奮よりは冷静、楽観よりは懐疑で南北関係を解決していかなければならない。
(朴徽洛(パクフィラク)国民大政治大学院長、5月4日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。