バイデン・ドクトリンの課題

東洋大学名誉教授 西川 佳秀

口先だけで具体策示さず
政治体制の質高める努力必要

西川 佳秀

東洋大学名誉教授 西川 佳秀

 バイデン米政権は、中露などの独裁抑圧勢力とアメリカをはじめとする自由諸国の対立という二分法的構図で世界を捉え、人権・民主主義の重要性を強調し、それを独裁抑圧勢力に対する外交上の武器に用いている。俗にバイデン・ドクトリンと呼ばれるものだ。

信頼性損なう二重基準

 しかし、外交の目的に人権や民主主義など普遍的価値の実現を掲げると、その発動対象も普遍・グローバル化し、特定の国だけに規範を強いることは難しくなる。とはいえ自国や同盟国と敵対国を同一には扱えず、外交の発動基準は曖昧恣意(しい)に流れ、そのダブルスタンダードが批判に晒(され)される。普遍的価値を唱えながら、相手に応じて態度を使い分ける政策は狡猾(こうかつ)に映り、却(かえ)って外交の信頼性を損なう危険が伴うのだ。

 これまでバイデン政権は、中国の人権抑圧批判に留(とど)まらず、民主派指導者を弾圧するロシアを非難、アルメニア人虐殺をジェノサイドと認めるなど、グローバルな価値観外交を展開してきた。だが、中露などを非難する一方でアメリカは自国第一主義を優先させ、アフガニスタンの民主化努力を放棄したかの心証を世界に与え、ダブルスタンダードの誹(そし)りを招いてしまった。中東からの米軍撤退が進めば、バイデン・ドクトリンの信頼性はさらに低下しよう。

 またキッシンジャー元国務長官が指摘したように、言葉と実際の政策の開きが大きいと、道義的な強さよりも逆に無力さが際立ってしまう。中国批判の舌鋒(ぜっぽう)は鋭いが、バイデン政権の対中制裁は限定的で、中国に与えるダメージも抑制的だ。声高に独裁者や抑圧体制を糾弾するが、人権確保や民主化実現の具体策は示さない。他国に賛同を求めても、アメリカ自身が口先介入や題目を唱えるだけでは各国の支持は得難い。アメリカが今回の撤退ミスで失った信頼を回復するには、国際問題に積極的にコミットし、その解決と価値観の実現に向けて自ら行動し同盟国を牽引(けんいん)する、そのような力強いリーダーシップが必要である。

 ところで人権・民主の普遍的価値を唱えるバイデン外交には、誰も抗(あらが)えない高い正統性が伴っているかに思えるが、果たしてそうか。昨年、国連人権理事会の理事国に中露が選ばれ、総会では欧米提案に反対する中露に賛成票を投じる国が多い。世界には今も全体主義や独裁政権の国が多く、それら諸国は自らの体制維持のため中露に与(くみ)するのだ。人権や民主主義の定義も国毎に異なり、アメリカ流の価値観が絶対的な正当性を誇り得ないのが現実の姿だ。

 確かに冷戦終焉(しゅうえん)直後は、中国など専制主義の国も、自由や民主の政治システムに関心を抱いた。しかしその後、抑圧体制の下でも経済が発展した。またアメリカ社会が見せる貧富の差拡大や根深い人種差別で民主主義への憧憬(しょうけい)も失せていった。アフガン撤退の愚行で、その失望は一層強まろう。

 冷戦期、封じ込め政策を提唱したG・ケナンは、西側諸国は共産主義に勝る軍事力よりも、内政の安定を実現することが肝要と説いた。コミュニズムという風邪に罹(かか)らぬためには、健全な身体を養い抵抗力を持つことが重要との彼の諭しは、いまも妥当する。中国との覇権闘争に勝つには、政治システムの質と魅力を高める不断の改善努力が、アメリカはじめ民主諸国に求められている。

 翻って日本はどうか。価値観外交の無理解と消極性はアメリカと対極をなす。中国の人権抑圧を黙認することは、日本自身の評価を下げることに気付くべきだ。アフガニスタンの現地職員・家族を救出し得なかった汚点も、日本の人権・人道感覚の乏しさと関わっているのではないか。もっとも、大国の価値観外交は権力政治の手段に堕しやすい。かつてアメリカはチベットの反中組織を援助し、ダライ・ラマのインド亡命を助けた。だが米中和解を機にチベット支援は打ち切られた。人権や民主も、国際情勢が変われば簡単に放棄されるのが大国政治の常だ。

人道的支援すべき日本

 我が国の価値観外交は、それを見真似(まね)るだけのものであってはならない。アジア同胞の苦難を思いやり、人道的視点からインフラ整備や民主化の定着を支援し続けることが日本の使命だ。イスラム諸国の日本への期待は大きい。地味ではあっても腰を据え、自由と民主の国づくりに汗を流し、期待に応えるべきだ。覇道に拠(よ)らず王道を歩むことで、中国との相違も際立ち、平和国家日本への国際社会の評価は不動のものとなる。

(にしかわ・よしみつ)