日露平和条約交渉急がぬ露
日本対外文化協会理事 中澤 孝之
主権強調のプーチン演説
世論調査を領土返さぬ口実に
ロシアのプーチン大統領は2月20日、モスクワの商業施設「ゴスチーヌイ・ドゥボール(マーケット)」で約2000人の政府高官や上下両院議員を集めて、今後の内政・外交の基本方針を議会向けに示す恒例の年次教書演説を行った。プーチン大統領は昨年通りに3月に入って年次教書演説を行う予定だったが、世論調査による大統領の支持率低下に歯止めをかけるために前倒ししたといわれる。
冒頭、大統領が「今年の演説は、主に国の社会、経済発展の諸問題を扱う」と述べた通り、1時間半に及ぶ演説のうち、外交政策に触れたのはわずか2割弱。約8割は貧困層への救済、出生率の引き上げなど、早急な国民生活の改善策を中心にした内政問題に割いた。
外交政策の部分では、このところ安倍晋三・プーチン会談、河野太郎・ラブロフ外相会談が重ねられている日露平和条約交渉について、プーチン大統領が新しい方向を示すかどうかが注目された。
「われわれは日本との政治的対話と経済協力を促進し続けるだろう。われわれは平和条約締結のため相互に受け入れ可能な諸条件を共同で模索する用意がある」というのが、日本に関する大統領の全発言である。
「相互に受け入れ可能な諸条件」という言葉は目新しいものではないが、交渉の困難さを暗示している。とにかく、プーチン大統領やラブロフ外相の従来の発言からうかがえた基本的な姿勢より前に踏み出した表現とは言い難い。ましてや、昨年11月のシンガポール首脳会談の後、安倍首相が邦人記者団に思い込みで漏らした「交渉を加速することで合意」を、大統領は全く無視した。ロシア側は当時、「加速で合意した」とは一切言わずに、「活性化で合意した」と主張していたが、その通り、平和条約交渉を急ぐ認識は全くないことが改めて証明された。演説にはまた、北方領土(クリール諸島)に関する直接的な発言はなかった。
プーチン大統領がアジアの国の中で日本を重く見ているかどうかも、極めて怪しい。2国間関係で大統領が真っ先に挙げたアジアの国は中国、次いでインド、そして日本の順であり、この順番は従来から変わっていない。
そして、指摘したメディアはないようだが、この外交政策の最初に、見逃せない発言があった。「皆さん。ロシアは主権かつ独立の国家であったし、今後も変わらない。これは当たり前のことだ。そうでなければ、ロシアは消滅するだろう。われわれはこのことをしっかりと理解しなければならない。主権がなければ、ロシアは国家であり得ないのだ。そうでない国もあるが、ロシアは違う」とプーチン大統領。
「そうでない国」とは、どの国を指すのか不明だが、何か日本を皮肉っているようにも聞こえるのだ。昨年12月の大型記者会見で、プーチン大統領は沖縄の米軍基地問題を例に、「日本の主権のレベルは理解し難い」と述べたくだりが思い出される。
ところで、プーチン演説に先立つ19日、ロシア政府系「全ロシア世論調査センター」は北方領土の島民7695人に対する調査で、96%が日本への島の引き渡しに反対したと発表した。この調査は北方領土を事実上管轄するサハリン州のリマレンコ知事代行が実施を求めていたという。
タス通信によれば、調査結果は州議会で即日報告された。調査は2月11~17日、北方領土に住む有権者の約3分の2を対象に実施された。その結果、択捉島で97%、国後島で96%、色丹島で92%が引き渡しに反対した。引き渡すべきだとの回答は全体でわずか2%。回答者の98%は、日本が引き渡しを要求していることを知っていると答えた。今後の対日交渉に臨むプーチン大統領は、こうした世論調査の結果を、歯舞、色丹の2島すら日本に引き渡さない口実の一つに使うであろうことは疑いない。
また、知日派として知られるミハイル・ガルージン駐日大使(58)は同18日、東京都内で開かれた北海道新聞主催の懇話会で、日露平和条約交渉に関して「長期的で綿密な作業が控えているのは明らかだ」と述べ、交渉には長い時間がかかるとの認識を示した。交渉期限の設定についても「無理に期限を設けるつもりはない。期限通りにならなかったら、対外的な説明に困る」として反対を表明。「(日露両国を)無理に束縛する期限は設けず、着実に交渉を進めることが必要」と強調した。
大使はさらに、ラブロフ外相らが繰り返し主張してきたように、「(北方領土は)第2次世界大戦の結果としてロシアの主権下にある」と述べ、このことを日本側が認めるよう改めて主張した。
一方、安倍政権は突然、国民に説明せずに、対露領土交渉で「4島返還要求」から「2島+α」に方針を変えた。のみならず、ロシアを刺激しないようにとの配慮からか、「わが国固有の領土」「ロシアによる不法占拠」といった従来の主張を封印する戦法に出た。しかし、見え透いたような柔軟姿勢を見せたことで、次々と出してくる交渉での厳しい条件をロシア側が撤回するだろうと期待するのは、あまりにも無邪気で、判断が甘過ぎると言わざるを得ない。
(なかざわ・たかゆき)