元印国防大臣の逝去を悼む

拓殖大学国際日本文化研究所教授 ペマ・ギャルポ

親日家フェルナンデス氏
日印の新たな関係構築に貢献

ペマ・ギャルポ

拓殖大学国際日本文化研究所教授
ペマ・ギャルポ

 1月29日、インドの偉大な政治家で思想家として知られたジョージ・フェルナンデス元国防大臣が逝去した。フェルナンデス氏は大の親日家で国防大臣時代、インドで核実験を行った時の責任者であったが、大臣執務室には広島の原爆の大きな写真を飾っていた。当時、日本政府は1998年5月11日と13日のインド・ラジャスタン州ポカランで実施した核実験に対し厳しい対応を取り、政府開発援助(ODA)を一時中止したのみならず、政府高官との接触も避ける通達を出していた。

 フェルナンデス氏の友人であった元防衛庁長官の野呂田芳成代議士は、これによって両国の関係が悪化しないよう、インド側に世界で唯一の被爆国としての日本の立場を理解してもらうべく、フェルナンデス氏と共に努力し、インド側も日本の立場はよく理解できるということになった。もちろんこの時、当時の駐インド大使であった平林博大使は職務上の立場でインドの核実験に強く抗議するとともに、他方では両国の関係が悪化しないためにも配慮を欠かさなかった。

 野呂田氏が大臣の執務室に入ると、フェルナンデス氏は野呂田氏に対して「おっしゃりたいことはよく理解できる。われわれが日本の立場であったら同じことを言うに違いない。日本の国民が人類史上、核の悲劇を被った国であることに対し、われわれインド人は常に日本人への同情と核投下に対する怒りを持ち続けている」と言って日本政府の立場をよく理解しておられた。

 私の記憶が正しければインドの他の閣僚に対しても同様にフェルナンデス氏は日本の立場を熱弁した。当時、日本の新聞はパキスタンを意識してインドが核実験を行ったように報じたが、当のフェルナンデス大臣はむしろ中国を仮想敵国ナンバーワンと強調し、中国の核に対する牽制(けんせい)であると明言した。

 フェルナンデス氏はそれまでに多種多様の人生経験を持ち、青年時代は神父になるための修行をしたほか、ボンベイでジャーナリストをしながら労働組合と関わることになる。やがて全インド鉄道労働組合の中心的な役割を果たし、77年、全国規模のストライキを主導し、当時の政権に逮捕され投獄されたこともある。

 このことを彼が日本人と結婚した父譲りで大の日本好きである息子の披露宴で「私はこの息子と初めて会ったのは刑務所の中でした」とスピーチした時、通訳としての私はそれを京都の宴会場の皆様に伝えるのを一瞬躊躇(ちゅうちょ)した。なぜなら日本では刑務所に入る政治家は大抵賄賂などに関わる悪事を働いたからであり、自分の主義主張を守るために誇りを持って刑務所に入ることがないからである。

 フェルナンデス氏は67年に37歳で下院議員に初当選し、2004年まで9期下院議員を務め、その後も亡くなるまで上院議員のまま政治生命を全うされた。この間、幾つも政党をつくったり連立を組んだりしたが、その都度中心的な役割を果たしていた。自らはリベラル社会主義者と自負していた。彼はインドの偉大な政治家で名首相であったインディラ・ガンディーにとっては厄介な政敵であったが、二人とも国内の市場を守るという意味では似たところがあり、フェルナンデス氏は特にインドからIBMとコカコーラを追い出したことでも有名である。

 日本に対しても当時の森首相とバジパイ首相が日印関係の新たな土台を作るプロセスの中で、フェルナンデス氏の果たした役割は忘れてはならない。

 フェルナンデス氏は型破りの政治家でもあった。自分の主義主張や信念の面では妥協しない人物であったが、同時に友情を何よりも大切にする人で、しばしば自分の党や与党の立場を超えて、敵対関係の党や反主流の候補者でも、友人であれば応援にも堂々と出掛けていった。

 彼は鉄道組合出身だったために、鉄道大臣としては多くの改革に乗り出し、一般の組合から鉄道官僚までの支持を得て歴史に残る業績を残した。国防大臣の時も一般兵士の福利などにも配慮し、兵士が滞在する駐屯地を何度も視察し、彼らの意見に耳を傾け、彼らの志気を上げた。

 彼の長年の同志であり閣僚時代を共にしたヤッシュワント・シンハ氏によればフェルナンデス氏は大衆を引き付けるカリスマ性を持ち、国会討論や答弁でも非常に雄弁であるのみならずユーモアを含む皮肉も多用していたという。

 今、安倍首相とモディ首相の指導下で、両国の関係はかつてないほど包括的に盤石となり、前進している。中でも両国の防衛当局の制服組の相互信頼は共同演習などによって深まっている。その基礎作りに野呂田元防衛庁長官と元インド国防大臣の先見性と友情、そしてそれぞれが持つ自国への強い思いが寄与している。

 最後にインドは長い間、アジア太平洋経済協力会議(APEC)への入会を希望しており、かつて日本は入会に対し消極的であったと聞いている。今こそ世界第7位の経済大国にたどり着き、自由と民主主義を共有するインドの参加を日本が促進すべき時である。