新型コロナウイルス禍と台湾

平成国際大学教授 浅野 和生

中国との心理的距離拡大
共産党政府の冷酷さに慄然

浅野 和生

平成国際大学教授 浅野 和生

 台湾の新型コロナウイルス対策は、迅速にスタートし、早くから徹底的に行われた。日本ではまだ新聞紙上に第一報すら出ていなかった1月2日、衛生福利部(厚生労働省に相当)が専門家会合を開いて、検疫や医療機関からの通報を強化した。そして蔡英文政権は、26日から、中国人の新たな入国許可申請を受理しないこととし、2月6日には香港、マカオを除く中国人を全面入国禁止とした。また、中国に出ていた台湾人には、帰国後14日間の外出禁止措置をとった。

迅速に対応した蔡政権

 そのころ台湾の学校は、旧正月の長期休暇となっていたが、政府は授業開始を2月10日から25日へ2週間延期した。2週間以上にわたり感染者の急速な拡大がないことを確認した後に授業を始めることにしたのである。

 大学の授業再開はその翌週の3月2日から。それで2月25日、筆者が台北市の国立政治大学に知人の研究室を訪ねたときは、いつも通り何事もなく入れたのだが、翌26日には様相が一変していた。キャンパスの門にテントが立てられ、空港の検温所のようになり、さらに各校舎の入り口が1カ所に制限され、そこにも検温所が置かれていた。発熱が無ければ手の甲に「PASS」のスタンプが押され、ようやく校舎に入れるのである。

 また、ホテルへのチェックインの際も、昼食や夕食にレストランに入るときも、コーヒーショップでも、入り口で検温され、さらに手のひらに消毒液を掛けられた。誰もが、1日に4度も5度もチェックされるのである。

 2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)禍の時、台湾では346人が感染して73人が死亡した。そして台北市内の和平病院は院内感染で封鎖され、医療従事者7人が死亡した。小さな台湾では、台北市中心部で起きたこの事件の恐怖と不安の記憶が、全ての人々の胸に深く刻まれている。だから今、その再現を防ぐために誰もが敏感に反応し、政府に協力している。

 ところで中国・武漢市政府は、昨年12月初めに新型ウイルスによる肺炎の発症を確認したが、月末までそれを隠蔽した。その後も、「人から人への感染は未確定」「感染力は弱い」と虚偽の情報を流し、さらには国際保健機関(WHO)に影響力を行使して、不適切な情報を世界に流布させた。

 その間の今年1月23日、中国は人口1100万人の武漢市を十分な準備もせずに閉鎖した。結果的に、武漢市内の感染は爆発的に拡大し、死亡者、重症者ともに増えた。3月7日現在、全感染者10万2188人のうち中国人が8万651人、死者は全世界3491人のうち中国人が3070人で、それぞれ78・9%と87・9%を占める。しかも、死者の大半は武漢市に集中しており、武漢市民は、あたかも政府に見棄てられたかのようである。一方、台湾では、蔡英文政権の懸命の施策によって、7日現在の感染者数45人、死者1人にとどまっている。

 1月末、武漢市の高層アパート群で夜間に住民が呼び交わす悲痛な叫び声が、映像を通じて全世界に伝えられた。また、麻雀卓を囲む市民を警察官などが襲って麻雀卓を破壊したり、マスクをしないというだけで市民を殴打したりする姿が、ニュース映像やネットで拡散された。台湾の人びとは、武漢市民の発する言葉をそのまま理解できるから、中国の非人道的対応に大きなショックを受け、さらに台湾政府と引き比べて、中国共産党政府のあまりの冷酷さに慄然(りつぜん)としている。

SARS超える刻印に

 台湾の人びとは、検温と消毒、そしてマスクの入手とその着用に、毎日、すすんで努めているが、楽しいはずの旧正月が、苦しみと不安の日々となってしまったことに憤りを覚えている。それだけに、今回の新型肺炎は、検温と消毒、マスクの思い出とともに、台湾の人びとの記憶に永く刻まれるに違いない。その対策の身近さと、その期間の長さから、その刻印の深さはSARSを超えるだろう。

 同時に、政党支持やイデオロギーと無関係に、台湾の人びとは、中国の異質性についての深刻な記憶を、心の奥底に共有することになった。1月11日の総統選挙では、台湾の人びとは自らの意思をもって、中国と一線を引く蔡英文総統を選びだしたが、その後は人知の及ばない自然の力が働いて、台湾の人びとの心が中国からさらに遠く引き離されることになったのである。

(あさの・かずお)