拡大する中国武漢ウイルス禍

東洋学園大学教授 櫻田 淳

共産党体制の「闇」を表出
「鈍重」な日本政府の初動対応

櫻田 淳

東洋学園大学教授 櫻田 淳

 昨年12月中旬頃、中国・武漢で最初の感染者が出たとされるコロナウイルス禍(以下、武漢ウイルス禍と表記)は、中国共産党政府が初動対応を誤り、災厄を日本を含む周辺諸国にも広げるものになっている。2月23日時点で感染者数は7万7000人、死亡者は2500人を超えている。WHO(世界保健機関)は、既に「非常事態宣言」を出している。

面子重んじ災禍を隠蔽

 このたびの武漢ウイルス禍は、中国共産党体制の「闇」を表出したという意味では、歴とした国際政治事象である。共産党が社会を領導するというのが共産主義体制の建前であるけれども、中国のように、「万事、面子(めんつ)が重んじられる」文化特性が重なれば、「政策判断に誤りがあっても、それが隠蔽され否認される」傾向には一層、拍車が掛かるのであろう。

 「中国の脅威」と呼ばれるものの最たるは、単なる軍事、経済、技術上のものというよりは、中国共産党体制に凝着した「秘密主義」性向にあるのであろう。それは、「面子が何よりも大事である」という価値意識に裏付けられた「秘密主義」性向である。このたびの武漢ウイルス禍は、それが収束されなければ、「何かをする」だけではなく「何かを適切にしない」ことでも中国が脅威になることの見本になる。

 そもそも、2002年以降に猛威を振るったSARS(重症急性呼吸器症候群)にせよ、このたびの武漢ウイルス禍にせよ、市場で野生禽獣(きんじゅう)を非衛生的な環境で取引する状態が放置されてきた事実に示されるように、中国共産党政府が中国国内環境の「後進性」を克服する手を打たず、災禍が発生すればそれを隠蔽する対応に走ったことにこそ、問題の本質がある。「中華民族の偉大な復興」を掲げて、対外影響力の拡張に乗り出した中国共産党政府の統治の実態が、白日の下に晒(さら)されたのである。

 ところで、武漢ウイルス禍がSARS禍に続く中国発ウイルス禍の「第2波」であるとするならば、仮に前に触れた中国共産党体制の体質と中国の社会環境が変わらない場合、近い将来に「第3波」が来るのであろうとは、当然のように予測しておく必要があるのであろう。

 そうであるならば、現今の「第2波」への対応も、「第3波」への準備として考える必要がある。このたびの武漢ウイルス禍に際しては、他国の対応と比較した上で、「日本政府の対応が、どうであるか」が容易に評価される。少なくとも、日本政府の現時点までの対応は、諸国の中でも、悪く言えば鈍重にして及び腰、良く言えばモデレートなものだという評価になるであろう。

 中国に対する自国民の渡航禁止措置や退避勧告を出した米国や英国、さらには中国から帰国した自国民を孤島や空軍基地に隔離した豪州や米国の対応を念頭に置けば、その評価は的外れだとはいえまい。その「鈍重、あるいはモデレートな対応」が後日、「賢明な対応」であったと総括されるかは、定かではない。筆者は、そのようにならない蓋然(がいぜん)性が高いと観(み)ている。この種の非常時対応の原則が「鶏肉を捌(さば)くに牛刀を以(もっ)てする」のであれば、そうした観測になる。

 留意すべきは、国内感染者増加の流れが止められるか、さらには死亡事例がゼロのままに抑えられるかということに関して、ネガティブな結果として出てきた以上、日本政府の「鈍重、あるいはモデレートな対応」は、「愚劣な対応」であったという総括になるということである。おそらくは、それは、安倍晋三内閣の政権運営の失速に結び付くのではないか。日本政府は、このたびの米英豪3国の対応に倣うところはないのか。「第3波」に備えるというのは、そうした趣旨である。

緊急時には断固行動を

 国家の役割は、「平常時には人々にとって鬱陶(うっとう)しいものであってはならないけれども、緊急時には断固として必要なことを行う」というものでなければならない。日本政府の初動対応は、「断固として必要なことを行う」構えにおいて、十分なものであったか。

(さくらだ・じゅん)