中国の新型肺炎事件に思う
拓殖大学名誉教授 茅原 郁生
中央集権が初動遅らす
共産党独裁の問題点が露呈
中国の武漢市で発症した新型コロナウイルスによる肺炎は、中国内では全省・自治区に蔓延(まんえん)し、わが国など近隣国・地域の外に米欧も含め20カ国を越えて感染して世界的な拡大様相を見せてきた。その原因や宿主が不明なまま人間から人間への感染(人人感染)もあり得るとして、全人類の危険に繋(つな)がりかねないリスクが浮上してきた。得体の知れない新病魔の拡大阻止は国境を越えた人類の生存闘争でもあり、かつて2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)時の教訓を生かした新しい病魔撲滅の共闘の成果を願うばかりである。
春節で感染拡大に拍車
今日、新型肺炎の被害の実態は加速的に拡大中であり、中国では3日時点で死者360人超、患者は1万7000人超で、航空便の乗り入れ中止が相次ぎ、62カ国が中国人の入国の禁止すること等が報じられている。
中国では1月20日になってトップに立つ習近平国家主席から「武漢の封鎖」について大号令が発せられた。これを契機に武漢市へ出入の交通規制が始まり、22日には担当当局による初の記者会見で情報公開、27日には中国人の出国を禁じて新型肺炎の世界的な拡散防止の手が打たれた。折から中国人にとっては大事な春節の時期を迎え、多くの中国人が国内外旅行で人口移動のピークを迎え、新型肺炎の拡大に拍車をかけている。発生後約2カ月を経た措置は、明らかに初動対応の遅れと見られている。
本来、この種の国家的危機に対しては町村から市、省、中央など各級行政府が危機管理上、応分に対処し、情報の公開、危険度の認識共有、発生した局所封じ込めなどがマニュアル化され、手順よく取り組まれるべき問題ではないか。特に中国においては03年のSARS事件で情報公開や初動対処で世界的な批判に晒(さら)されてきた教訓があったはずである。20日になって習主席の指示が出て初めて対策が打たれた中国の現実に違和感と危機感を覚えた次第である。
周知のように中国の統治体制は、国家の立法、行政、司法の三権の上に共産党が乗っかり、三権は共産党指導下でそれぞれに機能し、三権相互の抑止や監視は効かないのみか、上意下達の中央集権的な政治システムにあって地方分権の余地は少ないのが現状である。実際、今次新型肺炎への対応ではそれらが情報公開や拡散防止の武漢封鎖などの初動対応を遅らせる結果となり、共産党独裁体制下の国家危機管理上からの問題点が露見したことになる。
ニューズウイーク誌(1月28日号)は今次、中国の新型肺炎への警告や世界保健機関(WHO)への報告などは20年前のSARS事件の教訓を生かしたものとして評価してはいたが、筆者はトップの指示がなければ動かない統治体制の問題、封鎖が決まりながらも大量の市民が武漢市から脱出する国民民度に対して違和感を覚えた。実際、武漢市では封鎖直後の20万人を含めて武漢市民の半分近い500万人が既に国内外に避難している(武漢市長談)などの報道を見ているからである
そもそも武漢市は昔から交通の要衝で、中国大陸を揚子江沿いに上海から重慶・成都への東西幹線の中間にあり、さらに北京から広州・香港にいたる南北大動脈との交叉点にもなる。武漢の封鎖や交通規制・遮断は春節を控えた中国の人の往来や物流の多大な阻害となり、封鎖は重い決断であったに違いない。
さらに27日の報道は、ストックホルム国立国際平和研究所が17年の兵器輸出入状況を公表し、中国の上位4社が約6兆円分も売り上げ、総額で米国に次ぐ世界第2位の兵器輸出国となった、と伝えた。
いずれにせよ中国が第19回共産党大会で大国志向を明らかにしたが、その一環としての軍事力強化が生物兵器開発や兵器輸出大国化に繋がっており、この問題は改めて取り上げるべき課題と言えよう。
まず自国の危機管理を
しかし今次新型肺炎事件を通じて露呈したことは、中国の共産党独裁体制ではトップの指示なしには動けない態勢にあること。また新病魔などへの対応でも上意下達の縛りの中で各級行政政府が迅速な危機管理機能を発揮しておらず、03年のSARS時と変わらないということである。
中国が米国に争覇を挑むほどの大国を志向するのであれば、それは軍事力の強化ではなく、まず自国内の衛生管理や緊急事態への危機管理態勢を整え、さらに地域や国際社会の安全に相応の責任を果たす大国を目指してほしいものである。
(かやはら・いくお)











