政党の離合集散 日本再生へ与野党協力を
はっきりしているようではっきりしないのが与野党の分類だ。一般に政権を取っている方が与党で、その反対党が野党といわれる。
しかし与党の中でも反対分子がいる。野党の中に与党と手を握りかねない親与党を探すのはそんなに難しくはない。要するに互いにムジナなのだ。その気になればケンカもするし、ナアナアと仲間同士の付き合いも辞さない。永田町の互いの正体は第三者には理解しかねるところが山ほどある。
明治以来離合集散の永田町歴史を見れば、不可解の一語に尽きよう。今も昔も基本的には変わりないが、それでも昔のようにやたらにくっつき合ったり、分かれたりする傾向は少なくなった。離合集散には、それなりの理屈と主義の裏付けが必要だ。
だいぶ古くなったが、与党は資本主義、野党は社会主義という分類は分かり易い。しかし現在ではその方法では説明不可能な部分が多すぎる。やはり、当分は憲法解釈の差で論じなければならない。九条是か非か、本質的にはこれが勝負だ。自衛隊は世界各所に派遣され、それを咎(とが)める論調も昔ほどではない。口には出さないが国民各自胸の中でそれぞれ承知している。日本も随分変わったものだ。変わったというより進歩したという方が適当かも知れない。
与野党が自分の主義主張にこだわったら永田町は成立しない。てんでんばらばらになってしまう。日本政治の最高司令部として曲がりなりにも永田町が全国に睨(にら)みをきかせているのはこのためだ。そこで百尺竿頭一歩を進めて、与野党協力の具体的体制が組めないかとの問題にぶつかる。
政界再編成が表面化される度にこの議論が出るが、みんな未消化のまま流れている。まだ時期尚早のそしりを免れない。しかし日本の周囲を眺めるとそれは悠長すぎる。まごまごしていると置いて行かれるばかりだ。
これまでの経過を見ると、その動機も意図もあったくせにみんな途中挫折している。大義名分より党利党略に振り回されたからだ。永田町はじわじわながらいま陣痛を覚えている。党利党略を一掃し、新しい体制を生み出さなければ日本は生き残れないという自覚だ。この自覚は正しい。たまたま政界再編成の波に乗って一歩踏み出す時に来ている。この時を逃すなかれだ。
政界再編成は政党の道具ではなく、日本再生の大仕事だ。政党次元を越えての日本再生のリトマス試験紙と心得よ。
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