広がる女性登用論 成長戦略で安倍首相が音頭


 近頃急に永田町で女性登用論を耳にすることが多くなった。男女は平等だ。もし永田町だけで女性差別を受けているというなら、これは由々しき問題だ。

 日本のあらゆる分野で、常に先頭を走っていたのは永田町だ。日本の中でも、分別があり、頭のいい男女が選ばれて事に当たるのは当然だ。

 その人材は国民の選挙で決まる。元より男女の区別はない。それなら、当選する議員は男女同数であるのが当然だ。ところが何度選挙を繰り返しても結果は男のほうが女より断然多い。

 これは考えてみると矛盾そのものだ。選挙民がはじめから男女不平等を認めているようなものだ。「もっと沢山の女性議員を」の叫びはそれだけでも説得力がある。

 しかし現実と理想は異なる。といってこのままにしておくわけにもいかない。選挙民の選択はそれなりに正しいのだ。しかし男女平等の理念は踏みにじられている。

 政治家はひとつの職業だが、そのほかの側面、つまり人間味とか、判断力とか、それに実行力とかが要求される。このあたりをいい加減にしておくと国が滅ぶ。重大事案だ。さりとて妙案はない。日本の民主政治発足以来の懸案事項だ。

 結局、多くの人が「ヘンだな」と思いながら現在に至っているのが実情だ。かくなる上は女性自身が実力を見せるしかない。政治の世界でも男女平等論が堂々と罷り通る。これが分かれば選挙民も異論あるまい。

 一方、霞ヶ関では異なる流れのようだ。内閣人事局が誕生して初の幹部人事で経済産業、厚生労働、外務に女性局長が誕生。6月に閣議決定した成長戦略では「女性の活躍」の推進が中核として盛り込まれるなど空気が違ってきている。それは安倍首相が音頭を取っていることが大きい。

 自民党役員人事でも幹事長に次ぐ政調会長と総務会長の重要ポストを女性に任せ、来年の統一地方選の候補者にも女性を多く立てようと檄を飛ばしている。女性としては男性が「恐れ入りました」と引き下がるような実績を上げなければ現状はなかなか変わらない。

 ただ女性議員の中から豪傑が出れば変わるだろう。野党が何と批判しようが、マスコミがいかに悪口を書いても平気でわが道を行く。そんな豪傑が2、3人出てこそ、永田町は女性の天下になる。しとやかなだけが女性の美徳ではない。女性議員よ頑張れだ。(I)