総理総裁の弱み 閣僚・党内人事は諸刃の剣


 安倍首相にとっては人事は諸刃の剣だ。この諸刃の剣を巧みに使えば、党内のゴタゴタもうまく抑えることができる。しかし人事で躓くと総裁の権威はたちまち急落する。

 自民党の総裁が一見強力かつ安定しているように思われるのは、総裁の立場が安定しているからだ。しかし実際は異なる。累卵の上にあるといえば大袈裟になるが、ちょっとあたりがグラグラすれば、たちまち総裁の立場が怪しく動き出す。そんな弱みを持っている。

 だから党内、特に総裁周辺はこのグラグラを極力避けなくてはならない。自民党は痩せても枯れても政権党だ。政権党が揉めると政局が動揺し、揚げ句の果てには内閣総辞職とか解散とかいう騒ぎになる。

 政権党が常に注意しなければならないのは総裁周辺はいつも安定感に満ちていなければならないということだ。その意味では今の安倍内閣は中々うまくやっている。安倍内閣も他の政権と同じように反目と対立がないといえばウソになるが、それが表面化しないところが安倍内閣のエラいところだ。

 しかし隠せば現れるのが世の習い通り、やがて党内紛争がヒトの目につくようになる。時間の問題だ。その時が政局となる。永田町はそれを戦後何度も繰り返しながら現在只今に及んでいる。

 こんな危うい綱渡りを続けながら、永田町は別に暴力革命を迎えることもなく、平和に政権授受を行って現在に至っている。永田町の政治家が天下に誇る芸術品のひとつだ。

 しかし一方では国民がよくここまで我慢していると感心しないわけにはいかない。日本人はこの点に限っては実に鷹揚だ。日本は革命が起きない国だと言われるが、成程と思わないわけにはいかない。

 しかし永田町は安心してはいけない。仮にも慢心でもしようものなら、天罰が怖ろしい。ひとたび国民が堪忍袋の緒を切ったら、へなちょこ政治の首がいくら並んでも不思議はない。

 いままでこんな不合理が続いていたほうがおかしいのだ。これは国民にも責任がある。政治がいかに乱脈を極めても平気の平左だった。しかし平気の平左ではいられないと悟ったら、その反動は大きい。へなちょこ政治などたちまちお陀仏だ。

 政治を見捨てることは政治に見捨てられることと表裏だ。その覚悟で政治をバカにするなら何をかいわんやだ。

(I)