米国シリア政策失敗の余波

加瀬 みきアメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき

ロシアに劣った米外交
威信低下するオバマ大統領

シリアのアサド政権が、世界のトップ・スリーに入る大量の化学兵器を放棄するのかはまだ分からない。ましてやシリアの内戦がいつ治まるのか、死者、難民の数がどこまで増えるのかは全く不明である。

数年後には本当にシリアから化学兵器が全廃されるかもしれない。シリアがその状況に追い込まれるのを見て、イランも核兵器開発を放棄するかもしれない。イスラエルがイランを攻撃する恐れもなくなるかもしれない。

実現するとしてもそこまでの道のりはまだまだ長い。国連でのシリア決議はすでに暗礁に乗り上げている。8月21日に化学兵器が使用された疑いのあるダマスカス郊外を現地調査した国連調査団は、間違いなく化学兵器が使用され、またロケット弾が使用されたと報告した。規模や手段からアサド政権が武器使用の犯人であるのは、疑いの余地がない。しかし、アサド政権の味方をしてきたロシアは、調査は偏見に満ち、内容は信用できないと言い出した。反政府軍が化学兵器を使用した証拠もあると述べている。

決議内容も決まらない。米、英、仏はシリアが化学兵器を国際機関の管理下に置き、最終的には廃棄することを妨げる場合は、軍事介入も含んだ報復措置を講じる可能性を盛り込むことを主張しているが、ロシアはいかなる罰則を含めることにも反対している。

ロシアの狙いはアサド政権の存続、そして化学兵器がアルカーイダを含んだ政権外の集団の手に渡り、それがロシアに向けられることを防ぐことである。アサド政権が化学兵器をさっさと国際管理下に置き、反政府軍が勢いを増すことはロシアにとっては望ましい結果ではない。しかし、ロシアの介入なくしては化学兵器を所有していることをアサド大統領に認めさせることはできなかったし、交渉の道も開けなかった。

化学兵器を国際管理下に置くという案は、1年前のG20での米露会談で内戦終結に向けた平和交渉の一環として浮上していた。しかし、ロシアがアサド政権を説得することなく、実現不可能な案とされてきた。今月初めのG20でもプーチン・ロシア大統領とオバマ米大統領の「立ち話」でプーチンが持ちだしていたが、具体的な動きはなかった。

ところが、ケリー米国務長官が絶好のきっかけを提供した。9日のロンドンでの記者会見で、アメリカのテレビ局の記者に、シリアはアメリカの軍事攻撃を阻止できる方法はないのかと質問され、「もちろんある。来週中に所有する全ての化学兵器を国際社会に手渡せばよい。全部渡せ。一刻も早く。そして、それが完全であるか検証させろ」と応じた。口を滑らしたと感じたケリーは、「でもアサドはそんなことをするつもりはない。できないのは明らかだ」と付け加えた。その後、国務省はこの発言の実質撤回を図ったが、手遅れだった。

その4時間後、シリア政権と協議を続けていたロシアのラブロフ外相が、ロシアがアサドに全ての化学兵器を国際社会に手渡すよう交渉すると発表した。内戦終結の一つの条件であった化学兵器の手渡しと廃棄は、アメリカの攻撃を阻止する手段となり、アメリカは後に引けず、イニシアチブは完全にロシアのものとなった。

オバマ大統領は救われたともいえる。1年前自ら引いてしまったレッド・ラインゆえに1500人におよぶ被害者を出した化学兵器使用に対し、行動を起こさざるを得なくなった。アメリカ国民も国際社会も、オバマは自分とアメリカの威信を守るため仕方なく軍事介入を発表したことは分かりきっていた。国民の反対を前に、攻撃は期間も目標も非常に限定的とされた。

英国議会の承認という政治的後押しを得られなかったオバマは、突如、米議会の賛同を求めざるを得なくなった。軍事介入に対し上下両院の両党の指導者の支持を取り付けたものの、国民の大多数が反対であった。上院はともかく下院の承認を得られる見通しは暗かった。「外交交渉にチャンスを与える」ことは、願ってもない展開であり、軍事行動は少なくとも一時的に回避された。

しかし、ここまでの過程はオバマへの信頼を大きく失墜させ、今後の外交ばかりか内政の混乱にも拍車をかけるだろう。大統領の決断力のなさ、きちんとした政策も、それに見合った戦略も練らず、自らの、あるいは政権幹部のうっかり発言や、情勢にふらふらと流される優柔不断さは民主党支持者たちをも呆れさせた。民主党系の評論家や元民主党政権幹部ですら「アメリカが弱体化しているというイメージに拍車をかけた」、「これほど大統領の無能力が驚くべき、かつ説明のしようのない形でさらされたのはほとんど記憶にない」と容赦ない。

国内外でオバマの威信や外交安全保障政策の手腕への信頼が落ち、アメリカ大統領の言葉には一体どれだけの重みがあるのかと疑う人が増えたのは間違いない。議会指導者の支持を無理やり取り付けたツケも大きく、特に大統領に賛同した共和党指導者は、これで同党内への説得力も落ち、連邦予算をはじめとした内政案件の解決はさらに遠くなった。喜ぶのはアサドをはじめとした国際社会のルールを犯す独裁者やテロリストであり、国際秩序や基本的人権擁護を求める人々は深い傷を負った。(敬称略)

(かせ・みき)