五輪東京決定で勢いを呼べ

中條 高德英霊にこたえる会会長 中條 高德

覚悟すれば出来る民族
日本国仕立て直しの道筋に

 2020年のオリンピック東京開催が決まった。「未来をつかもう(Discover Tomorrow)」を掲げての立候補であった。

 久し振りに日本中が湧き立った。官も民も、老いも若きも、富める者も貧しき者も等しく「東京開催」をめざし一丸となっての決定が素晴らしかった。

 最近の韓国や中国の独りよがりの狼藉振りに辟易していたわが国民にとって手応えのある清涼剤であったことは間違いない。

 この民族はやろうとさえ覚悟すれば出来るという可能性をも説いてくれた。

 ブエノスアイレスでの高円宮妃殿下や安倍首相たちのロビー活動は鮮やかであり、お見事だった。宮内庁の気むずかしさを背景にされての高円宮久子妃殿下の御活躍は、どれほどIOC(国際オリンピック委員会)委員たちの心を掴んだか計り知れない。

 IOCの公用語たるフランス語、英語にお得意の妃殿下は、震災救援への御礼のスピーチはもとよりのこと、深夜に及ぶロビー活動振りを聞き、ただただ感謝の手を合わせた。

 筆者が深いご交誼を頂いてきたスポーツの宮様とも呼ばれた高円宮が47歳の若さで突然薨去されてから10年余の月日が流れたが、妃殿下は数多くのスポーツ団体の名誉総裁をお務め下さっている。

 続いて登壇した宮城県気仙沼市出身の佐藤真海さん(パラリンピック代表)が涙ぐみながら足の病気や実家の被災の体験を訴えたのも見事だった。

 安倍首相は7番目の登場であった。この日を迎える頃、世界はわが国の原発不安の声が高まっていた。失礼ながら殆ど当事者能力を欠いている東京電力の答弁で納得する者はいない。この日本国が首相として安全を約束する安倍さんの姿は頼もしかった。筆者は60年安保で逆巻くデモに決然と立ち向かった祖父岸信介元首相をすぐ想起した。岸さんは日本の首相として初めて、唯一アルゼンチンを訪ねられたお方と聞く。あの日、筆者の眼には発言する安倍首相の背後に、おじいさん岸信介が佇んでいるように見えた。

 また、わが国が夏季五輪で2度の東京、72年札幌、98年長野の冬季大会とオリンピックを4回も出来るようになったのは、ペリーの来航で目が覚め、明治近代国家が誕生したからであった。

 とりわけ、ほぼ500年間続いた白色人種の国々による有色人種の国の植民地化に飲み込まれず、その最終戦とも言うべき日露戦争に勝ち得たからであった。今でも三つの名海戦の一つに数えられる「日本海海戦」(レパントの海戦、トラファルガーの海戦とともに世界三大海戦)の勝利の一因はアルゼンチンにあった。戦艦不足に悩む日本の要請にアルゼンチンが新造したばかりの巡洋艦2隻を譲渡してくれたのである。「日進」「春日」がそれである。

 史実によればロシアも食指を伸ばしていたから、アルゼンチンがあの2隻をロシアに渡していたらと考えると今でも鳥肌がたつ。IOCの委員の方々がこのような歴史を知る筈もない。それなのに20年のオリンピック開催都市決定の場が、アルゼンチンであったことは歴史を学ぶ筆者にとっては全くの偶然か、はたまた神のお加護かと考えるほど日本国にとって有り難い決定であった。

 筆者はこうした歴史の事実を重ねみて、心の中で勝手に「東京決定」を信じ、親しい人たちには親指を思い切り突き出して予言をしてきた。その上、既述してきた如きプレゼンターの方々の見事な演出ご精進が実を結んだのだから堪らない。老いの涙が出るほどの感動であった。しかし、オリンピック東京開催を喜ぶに留めてはならない。

 安倍内閣誕生以来、三つの矢を放ちアベノミクス宣言とし、全てが順調に動き出した。

 兵法は「勢いは勢いを呼びよせ、勝ちは勝ちを呼ぶ」と説く。何よりも勢いを創り出すことが大事なのである。

 現政権には憲法改正、教育改革、安全保障、靖国問題など解決を迫られている課題が極めて多い。

 敗戦からはや68年経った。占領下に占領軍の手に成る憲法を自らの手で作ろうと保守合同で自民党を結党し55年体制を築いてからでも58年経つ。この間、荏苒時を過ごしてきた罪は重い。

 オリンピック東京が決定したことは安倍政権にとり「第四の矢」とすら言える。

 この機にこそ、数の不足が切なくて、自衛隊を憲法違反と主張していた村山社会党党首を総理にしてまで政権の座にしがみついた罪の反省はしたのだろうか。その年の村山観閲官から観閲を受けた自衛隊員の気持ちを政治家たちはどれほど忖度したのだろうか。

 河野発言、宮沢発言、村山発言など、どれほど、わが国益を損ねているか判らない。

 7年先まで生きられるかどうか判らないが、この国の仕立て直しの筋道が段々見えてくることは限りなく嬉しい。

(なかじょう・たかのり)