ジュゴンはなぜ死んだ 辺野古工事の影響なし

《 沖 縄 時 評 》

玉城県政の保護無策が災い 犯人は「エイ」と判明

 沖縄本島周辺で確認されていた海洋哺乳類ジュゴンの1頭、通称「B」の死骸が発見されたのは今年3月のことだ。東シナ海側にある本部半島の今帰仁村(なきじんそん)・運天漁港の防波堤に漂着していた。体長3メートル、頭部や胸びれに傷、出血が見られ数カ所、皮も剥(む)けていた。

 ジュゴンはオーストラリアの北部海域からアフリカ東海岸にかけて生息し、北限は沖縄本島。沖縄では縄文期から食用にされ、明治にはダイナマイト漁で多数捕獲された。戦後の食糧難では貴重なタンパク源となり頭数が激減。そのため本土復帰の1972年に天然記念物に指定された。

 だが、大規模埋め立てなどで餌となる海草藻場が減り、確認されているのは3頭(A、B、Cと呼称)だけで沖縄本島北部の西側と東側を回遊していた。

 それでジュゴンBの死は大騒ぎとなった。それは希少動物の保護というよりも、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設工事を阻止する政治的色彩が濃かった。地元メディアは“辺野古工事犯人説”を流し続けた。

 辺野古工事は昨年12月に再開し、埋め立て土砂を積んだ運搬船が名護市の西海岸側から最北端の辺戸(へど)岬沖を経て東側へと回る航路を取って、東海岸側にある辺野古に運ばれていた。

 その運搬船がジュゴンの生息に影響を与えた可能性があるとして日本自然保護協会は安倍晋三首相宛てに「埋め立て工事の即時中断を求める意見書」を発表。

 一方、沖縄タイムスは「ジュゴンが死んだ なぜ守れなかったのか」(3月20日付)との社説を掲げ、「ジュゴンBは何が原因で死んでしまったのか。政府は徹底調査し、明らかにしなければならない」と主張し、辺野古工事を追及した。

 では、ジュゴンBの死因は何だったのか。本当に辺野古工事のせいで死んだのか。メディアの徹底追及の声を受けて環境省沖縄奄美自然環境事務所と沖縄県、今帰仁村は死因を解明するため国立科学博物館の協力を仰ぎ、海獣類の専門家6人に解剖を依頼。その検案書が今年7月29日に発表された。それによれば、死因はこうである。

 ―ジュゴンBの右体側から右腹壁に穴が開いていた。多数のノコギリ歯状の突起を持つオグロオトメエイに刺され、トゲ(長さ約23センチ)が体内に入り込んだ。トゲは腸の動きに連動して約60センチ移動し、左腹壁に到達。それによって小腸が破れ、腸管内の内容物が腹の中に広がり、悪化した可能性が高い。他に死因に結びつくような目立った外傷や骨折はなかった―

 死因は辺野古工事とまったく関係なかったのだ。オグロオトメエイは沖縄近海に生息しており「野生下においては偶発的に起こる事案」(検案書)だった。

◆地元紙は小さな扱い

ジュゴンはなぜ死んだ 辺野古工事の影響なし

埋め立て工事が進められる名護市辺野古=6月24日(撮影・森啓造)

 これを地元紙はどう報じたか。死骸発見の3月にあれだけ大騒ぎし、死因を究明せよと叫んだから、1面モノのニュース価値があるはずだ。ところが地元紙はまるでスルーの体だった。

 タイムス7月30日付は社会面下段に2段見出しで「ジュゴン死因 腸損傷 エイのとげ刺さる」と報じただけだ。記事には「明らかな骨折部位が認められなかったことなどから船舶との衝突死の可能性は『極めて低い』とされ、工事による影響は考えにくいと結論付けられた格好だ」とある。

 これまでの経緯から言えば、「辺野古工事の影響なし」の見出しを付けてしかるべきだ。それもせず、続報もないし社説でも取り上げていない。あまりにも恣意(しい)的と言わざるを得まい。

 県は昨年8月、辺野古沿岸部の埋め立て承認を撤回したが、その理由の一つに「ジュゴンに関する環境保全措置が適切でない」を挙げていた。これに対して防衛省は行政不服審査を請求し今年4月、石井啓一・国交相が撤回を取り消す裁決をし、県の主張を退けた。

 裁決書によれば、沖縄防衛局は沖縄島北部の西海岸から辺戸岬、中部の東海岸側などを対象にジュゴンの目視調査を実施しているほか、辺野古沖、嘉陽沖(辺野古の北東約5キロ)、古宇利島沖(西海岸側・今帰仁村)で水中録音装置を設置し生息確認を実施。嘉陽沖などの海草藻場は潜水目視観察で食(は)み跡を調査している。

 またジュゴンが運搬船のスクリューに巻き込まれないよう航行中に監視員を置き、接岸にはエンジンを切り、沿岸からリンチで巻き上げて安全を期している。その結果、ジュゴンの生息に影響を与えていない。

◆海草藻場の整備必要

 一方、沖縄県環境部自然保護課がまとめた「平成30年度ジュゴン保護対策事業報告書」(今年3月)によると、ジュゴンは主に本島西海岸側で生息している可能性が高い。過去の目撃情報を含め情報収集したところ、13件の目撃情報が得られ、うち平成22年以降は5件のみだ。

 内訳は沖縄島南部・南城市沖の知念志喜屋海域で1件、今帰仁・運天に近接する屋我地島周辺海域で3件(1件はジュゴンBの死骸)、那覇から北西60キロにある渡名喜島海域で1件。同島での目撃情報は本島以外では初めてだという。

 ジュゴンは海草を地下茎ごと掘り起こし食べるので食み跡が残るが、食み跡は古宇利・屋我地海域の海草藻場8カ所で発見された。海草藻場は辺野古近辺を含め沖縄島周辺に7カ所あるが、食み跡はここだけだ。ジュゴンA、Cの消息は不明だが、同海域で生息している可能性が高い。

 このように県の調査でも辺野古工事の影響は見られない。それに移設工事が完了しても周辺の海草藻場は残る。しかも東側海岸の海草藻場は、辺野古から北東約40キロの安田・伊部海域、中部の与那城・平安座海域と勝連半島周辺、南部の南城市知念沖にある。とりわけ与那城・平安座海域には藻場が1000ヘクタールに及んでいる可能性がある。

 ここからジュゴンの保護には、食み跡のある古宇利・屋我地海域の海草藻場と与那城・平安座海域の海草藻場の保護・整備が欠かせない。ところが、玉城革新県政は辺野古工事の粗(あら)探しのためか、調査や検討ばかりで肝心の具体的保護策に取り組もうとしない。

 何のことはない、沖縄の貴重なジュゴンを窮地に追いやっているのは玉城・反辺野古県政にほかならない。ジュゴンもまた、反辺野古闘争の犠牲者(動物)なのである。ウソとお思いなら、前記の県報告書をネットで検索し、読んでもらえれば納得いただけるはずだ。

 増 記代司