「プレ民」の安保論議 国の自衛権縛る倒錯状態

御都合主義な「立憲主義」

「プレ民」の安保論議

党首討論で安保関連法案などについて質問する民主党の岡田克也代表=5月20日午後、国会・衆院第1委員室

 立憲とは「憲法を制定すること」(広辞苑)。安全保障関連法案をめぐり野党は「立憲主義」を言い安倍政権を追及する。が、肝心の「立憲」に役割ある国会議員がこれを妨害してきた野党の歴史がある。

 民主党の機関紙「プレス民主」6月5日号は「安全保障法案の審議始まる」「立憲主義を破壊する法案だ」の見出しで枝野幸男幹事長の衆院本会議での質問を取り上げ、「いっときの多数が大きく道を誤ることがあるというのは、わが国がわずか75年前に経験したことだ。だからこそ民主的に選ばれた多数派といえども、憲法に拘束されるという立憲主義が重要だ」と述べたことを紹介している。

 が、憲法には改正条項があり、国会議員に大きな役割があるのだ。ところが、明治23年(1890年)の大日本帝国憲法(明治憲法)施行で開設された帝国議会が「憲法改正」したのは、敗戦後占領軍の起草による日本国憲法制定においてだけだ。この一度を除いて戦前戦後を通じ国会議員が憲法改正に携わったことはない。

 枝野氏は「75年前に経験したこと」を指摘したが、当時は憲法に明記された「統帥権」で軍が政府の言うことを聞かなくなった。「立憲主義」の教訓にこれを言うなら軍に歯止めをかけるため明治憲法は改正されるべきだったと言わなければおかしい。

 1955年の保守合同で結党した自民党は、自主憲法制定を目指し立憲を志した。しかし、これを阻止するため左派と右派が統一した社会党など野党を相手にした「55年体制」下の国政選挙で、自民党は改憲発議に必要な衆参両院総議員の3分の2の勢力を得られなかった。

 結局、占領軍が無条件降伏した日本の武装解除の通りを憲法9条に書いたままだが、この条文に「拘束される立憲主義」をあえて説くのは倒錯である。自衛権(個別的・集団的)は独立国固有の権利であり、国連憲章も明記しているのに、自衛隊違憲解消論、非武装論の旧社会党などが一定の議会勢力を占めていた所以だ。

 同紙は1面で「専守防衛に徹する観点から、安倍政権が進める集団的自衛権の行使は容認しない」の見出しで同党の北澤俊美安全保障調査会長の話を載せているが、「専守防衛」も違憲と批判されてきた。結局、このような条文は国会が改正に動くか、政府が解釈するしかない。国会にある政党会派が以前の政府解釈に拘束されることこそ「立憲主義」の倒錯である。

 案の定、同紙をみると「衆参憲法審査会での議論から/憲法改正ありきの論議には組みしない」という見出しの記事があり、民主党は改憲に否定的である。立法府にありながら9条問題に対処する「立憲主義」への怠りは棚に上げて、政府にばかり「立憲主義」を言い立てるのは無責任な御都合主義というものだ。

 戦後70年、独立回復後63年、自衛隊を発足させて60年も過ぎており、国会で立憲主義を言うなら憲法に安保規定を置くように提起するのが国会議員の果たす役割ではないのか。

解説室長 窪田 伸雄