世界で評価される教育勅語
拓殖大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター副センター長 濱口 和久
「教育の本質」指し示す
世界に共通する普遍的徳目
日本国内には『教育勅語』と聞くとすぐに拒絶し、言葉に出した人間に対して「タカ派」「右翼」「保守反動」等々、レッテルを貼り、圧殺してしまう空気が今も続いている。
実際、学校法人森友学園が運営する塚本幼稚園で、園児たちに教育勅語を暗唱させていることがマスコミで大々的に報道されると、一斉に批判が殺到した。南スーダンPKO(国連平和維持活動)日報問題で防衛相を辞任した稲田朋美氏が「日本が道義国家を目指すというその精神は今も取り戻すべきだと考えている」と教育勅語を評価する答弁をすると、朝日新聞などは稲田氏に対して「軍国主義者」のようなレッテル貼りを紙面の中で展開した。野党も同様の批判を稲田氏に行った。
教育勅語否定論者は皇室への漠たる反感を基にして、古きもの、人間を抑圧するものという結論から始める傾向が強い。日本国内とは違い、世界的には教育勅語が高い評価を受けていることを日本人は知るべきだろう。
明治の歴史家・評論家だった徳富蘇峰は、教育勅語を「この勅語は、現代および永遠の世代にわたって日本国民の向かうところを指し示しているばかりでなく、じつに日本国家本来の面目を完全に描き出しているものである。言いかえれば、日本は道義立国であり、したがって国民も道義的国民であることはうごかしがたい事実である。教育勅語は外に向かっては世界に対する日本国のよりどころを明確にし、内に向かっては、日本国民の倫理の大本を宣示したもので、盛んな徳といわざるを得ない」と評した。
同じ頃、日本は国運を懸けた日清、日露戦争を経験する。明治維新によって近代化を始めて30年程度のアジアの小国がなぜ、清国、ロシアとの2度の大戦に勝利できたのか、海外の学者の間でさまざまな原因究明(研究)の試みが始まる。そして、「日本人は道徳的に極めて優秀である。特に、その徳育の根本理念が教育勅語に起因すること、他に類例が見当たらない」という結論に達し、教育勅語に対する海外の学者の関心は日露戦争後、一段と強まっていく。
日露戦争講和の陰の立役者で、ハーバード大学留学時代の学友であったセオドア・ルーズベルト米国大統領とも親しかった金子堅太郎は、井上毅より相談を受け、教育勅語の中の徳目がわが国固有の倫理の教えに基づきながら、世界に共通する普遍的なものであることを確認し、成立の経緯を「世界に輝く教育勅語」という形で発表している。昭和5年12月に開催された第1回アジア教育会議においても、教育勅語は各国の参加者から高い評価を受けた。
占領軍(GHQ)は、旧日本軍の執拗(しつよう)な抵抗による恐怖心から、日本人の多くが持ち合わせていた国への奉仕による自己犠牲を重んじる戦前教育をことごとく排除し骨抜きにするため、戦争は3年半で終わったのに、7年という占領期間を費やし日本人の精神的武装解除を行った。
昭和20年10月には、早くも「日本教育制度に対する管理政策に関する指令」を出した。同月30日には「教員および教育関係官の調査、除外、認可に関する件」という指令によって、好ましくない人物の公職からの除去、軍国主義者や極端な国家主義者として査定された者の追放、退役軍人の教職従事禁止など断固たる処置を取った。12月15日には「神道指令」によって、神道を国家から分離し、学校教育の場から一切の神道的色彩を払拭。同月31日には、教育勅語の禁止に加えて「修身、日本歴史および地理教育の停止に関する件」が指令され、それまで使用していた教科書の墨塗りや回収破棄が命じられた。民族を滅ぼすには、まず歴史を消すことだという教訓に従って、古事記も日本書紀も神武の建国も、古来のおとぎ話まで消してしまった。国家のために尽くした楠木正成、東郷平八郎、乃木希典などの忠臣や武将の名を削り、反対に足利尊氏、幸徳秋水ら、反逆者や不忠臣をたたえる指示を出したのである。
昭和22年3月、日本人の精神の根幹であった教育勅語が廃止され、翌年6月19日には国会において教育勅語の失効が確認された。
一方、日本と同じ三国同盟の枢軸国であったドイツ政府(旧西ドイツ)のアデナウアー首相は、首相官邸の壁に、日本の教育勅語のドイツ語訳したものを掲げていた。ドイツでは教育勅語の精神を尊重し、教育実践の場で活用しながらベルリンの壁が崩壊するまでドイツ教育理念として固守し続けてきた。戦前の日本の行ってきたことを全て否定する韓国でさえ、現在、韓国の教育の基礎となっている『国民教育憲章』は、日本の教育勅語をモデルに作られている。日本人の精神構造を骨抜きにした米国でさえも、国内の教育が自由主義によって荒廃に瀕(ひん)する中、レーガンやブッシュ(父)の元大統領らは日本の教育勅語による修身教育に範を取り、教育ルネサンスを実現している。
まさに、教育勅語は世界で通用する日本発の「教育の本質」を書いたものなのである。
(はまぐち・かずひさ)






