戦後教育の失敗を修復せよ
NPO法人修学院院長・アジア太平洋交流学会会長 久保田 信之
制度いじりで解決せず
個性を育む鍛錬など基盤に
昨今、フェミニスト諸団体や「反日NGO」さらには外務省までもが「児童の権利条約」の実効措置を奨励してきたがために、学校教育はもちろんのこと家庭教育までもが、翻弄されて混乱の度を深めている実態をご存知であろうか。
多くの公立小学校での実例だが、授業中だというのに、教室内を歩き回り、中には漫画を読んで寝そべったり、さらには試験中にカンニングをしていても、「あの子はそういう子なんだから、とやかく言うべきではない」と認め許し、「自分で気付くまで待ちましょう」と容認する。実際、生徒たちは、先生から注意されても、それには従わず、勝手な行動をやめようとはしない。
現在の学校には、「子供の自主性・主体性に理解のある教師?」がどこにもいる。授業を妨害した子供の腕を掴んで席につかせたり、大声で叱ったりすることも「人権侵害になるからできない」のだそうである。「国旗国歌」の指導も「自己表現権」の侵害なのだから「自主性に任せる」といって「法的規制」すら無効にしている「事なかれ主義の教師?」が学校を無法地帯にしているのだ。
家庭にあっても、自分の子供を掌握できない親が多数いるが、彼らも戦後教育の落とし子。「子供の自主性を尊重する」「束縛してはならない」「自覚を待つ」と自分に言い聞かせているようだ。
現在の日本に生活する大人も子供も「自主性・主体性の尊重」という言葉に付随している「歯止め」をまったく無視して、気まま勝手にやりたいことをやり、言いたいことを言い放っているのだ。「個人の権利の肥大化」は極限にまで達していて、己を超えた、己を制御する価値は習得していない。どう贔屓目に論評しても、「戦後の人間形成、教育は、完全に失敗した」と率直に認めるべきであろう。
上に記したのは、ほんのわずかな事例であって、大人も子供も、日本人全体が、己の心を支える枠組み、身勝手わがままを制御するブレーキを持っていないのではないか。このような歯止めを失った個々人の集まりは、決して健全な国家とはいえない。安倍政権が「経済成長を最優先する」と宣言しているが、「底の抜けた鍋」に高級な食材を入れたところで、幸せを感ずる料理ができるわけはないのだ。教育改革の必要性は認めているようだが、表面的な制度いじりでは、現在日本が直面している深刻な事態は解決しない。否、むしろ混乱の度を深め、日本人の心がすさむだけではないか。
西欧近代思想の導入によって明治初期の日本社会がどれほど深刻な混乱状況に立ち至ったか、政治家諸氏はもちろんのこと、われわれ一人ひとりが素直に学ぶべきだといいたい。戦後、GHQから教わり、日本人の多くが、しびれたように受け入れた、自由、民主、人権思想が、明治期の大混乱のもとと同じなのだ。
上に列挙した、深刻な社会病理現象は、率直にいって、西洋の特殊な神意識が、日本人には消化しきれないからだといいたい。この特殊性を認識し克服せずに、不用意に人間形成や教育の基盤にその思想をおく間違いは、明治期に証明ずみだ。
キリスト教、特にプロテスタンティズムが説く「特殊な神意識」を「絶対なる基準」において生活している、いわば「敬虔な信仰者」ならば、世俗の雑音に惑わされることなく、一日の終わりには「今日一日が神の御旨に沿ったものであったかどうか」と、静かに神と対話し己を糺すことができる。深刻な岐路に直面したときでも「どちらを選ぶことが神の御旨に沿うものか」と、神に問いただし心の平静を取り戻すことができるのだ。自己存在すべてが神の導きによると、「羅針盤を持った船」のように、自律的に己を己が律することができるのだ。
戦後の日本の思想界は、こうした敬虔なクリスチャンを最高の模範としたからこそ、自主性、主体性、自律心を奨励し、依存する心を脱却して、独立独歩を幼少時期から求めるべきだ、と熱心に説き育成してきたのだ。
小学校の道徳教育の指導書にも「自分の正しいと信ずるところに従って行動し、みだりに動かされない」「自他の自由を尊重し、自分の行動に責任を持つ」など、「自我、エゴを抑える大いなる存在、すなわち神意識」があってこそ成り立つ個の主張、個我の主張を、児童生徒に教え込んだのだ。
われわれ日本人には「全知全能の創造主」など分かるはずがないのに、西洋の近代思想を、理屈を整える便利な基準、方便として、日本人の心に植えつけようとしたのが思想家であり教育者であった。その結果、世にも恐ろしい「神なし個人主義者」を大量に輩出させたのだ。
今まさに、戦後レジームからの脱却が広く求められているとき、自由・民主・人権の表層に漂う明るい面に惑わされず、訓練、鍛錬こそが個性を育むという大原則、自由放任は決して個性の伸張には益しない、縦・横のつながりを軽視することは人間の品位品格を低下させる、等々といった、日本の先人が長い歴史の中で習得してきた原則こそを人間形成、人間関係の基盤にすえることが、現代の世相の混乱を収束させる最善の道であると、声を大にして主張したい。
(くぼた・のぶゆき)





