スマホの代わりに文庫本を
向学心欠かせぬ大学教育
読書積み重ね成果上げよう
「デカンショ、デカンショで半年暮らしゃ…」とは旧制高校でよく唄われていたもの(因(ちな)みに、これは、デカルト、カント、ショーペンハウワー)だが、今や「スマホ、スマホで毎日暮らす…」になっているようだ。
読売新聞が伝えているのだが、内閣府の調査によると、その利用時間は、小学生で63分、中学生が123分だという。筆者が実際に見たところでは、電車の席で本を読んでいる1人に対し、その3倍の3人がスマホだ。さらに、スマホによるネット利用率は中学生の36・6%、小学生が9・8%で、高校生が86・8%、平均利用時間は155分とのこと。
電車の中だけではない。歩きながら、ひどいのは自転車にまたがりながら…。さらに、東京都の調査によると、子供が守っていないルールやマナーとして最も多い答えは、「歩きスマホ」などの『ながらスマホ』(66%)だった由。事実、安全性という点からも、かかる行為は危険だし、いわんや自転車やオートバイに乗りながらの行為は危険極まる言語道断な行為だと言わねばなるまい。
新学年が始まる4月に、筆者は声を大にして申し上げたい。スマホも結構だが、すべて「便利かつ簡易」第一という気がしてならない。インターネットの普及は世界の趨勢(すうせい)であることを否定するものでなく、逆にこれあればこそ、これを自由に駆使して成果を挙げるべきなのだ。しかし、真の成果は営々と積み重ねた読書、努力の賜物だと言えよう。明治23年の教育勅語によれば、「克(よ)く忠に克く孝に億兆心を一にして世々その美を済(な)せるは、此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此(ここ)に存す…父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭倹己れを持し…学を修め業を習ひ以て智能を啓発し徳器を成就し…」なのだ。
筆者の記憶に誤りがなければだが、旧制高校時代に学んだフランスのルイ・パストゥールの言葉(高等教育の重要性を説いたもの)で、フランス語の音韻が今でも耳に残っている。「20年経ってフランス現代史を書く人が、フランスが一番重視したのは『あらゆる段階における教育問題』だが、特筆すべきは『大学教育』だったという筈だ」。
現在日本が直面している重要問題の一つは「教育」である。小中高の学校教育が大事なことは論を俟(ま)たないが、その帰結は大学教育である。勿論大学教育だけで人格形成は完結するものではない。人格形成は幼児時代の親による教育から始まり、幼稚園、小学校を経ての大学教育で一応完結する。しかしながら、学校教育がすべてではない。学校は教育の一手段であり、すべては個人に内在する向学心の賜物なのだ。
昔は6年制の小学校、5年制の中学校があり、その後は帝国大学の予備部門とも呼ぶべき第一高校等の旧制高校があった。ここでは学問もさることながら、人格形成、教養の面にも多大の重点を置いてきた。ところが、戦後アメリカの占領政策の影響もあり、教育改革の名の下に、旧制高校は潰されて久しい。その後できた新制東大の「教養学部」に引き継がれたのだった。占領軍当局は、これで日本精神の根源が絶たれたと歓迎したのではないか。因みに筆者も旧制一高から新制大学に「放り出された」被害者でもあった。ただ、日本人も馬鹿ではないぞよ! 新制大学発足後、東大教養学部中の旧制高絞教授経験者等が、旧制高校の「精神を生かす」という趣旨で、教養学科を発足させた。筆者は第一回生になるが、この学科は現在でも多くの著名学者、ジャーナリスト等を輩出している。
今までにも述べてきたが、筆者は、数年前平塚に住んでいた際、小田原の報徳二宮神社の周辺によく出掛けたものだった。そこにはコンクリート製の金次郎像があるが、薪を背に、左掌に本を読みながら歩く姿を彷彿(ほうふつ)させるものだった。類似の像は戦前には殆どすべての小・中学校の校庭にあった。ただ、銅製の像の多くは大戦中の金属供出により無くなってしまった。現在ではこの像が存在する学校も多くはないようだ。ただ、平成15年に小田原駅が改築され橋上化された際、デッキに尊徳像が新しく立てられた由。
確かに、かつて二官金次郎は「勤勉」のシンボルだったため、その銅像を学校に建てることが奨励されたが、バブル期以降「勤勉」を忘れた日本人が学校改修の際、金次郎像を撤去しているようだ。かつての金次郎像は「薪を背負って歩きながら読書をしている」スタイル一辺倒だったが、昭和の終わり頃から「薪を傍らに置いて腰掛けて読書をする」など、像のスタイルは多様化して現在に至っている。
現在問題なのは、迷惑かつ危険な「歩きスマホ」が野放しになっていることだ。駅構内でも電車の中でも、読書の代わりにスマホを眺めるのは他人に迷感をかけるわけではないのでまあ良しとしても、この「エセ金次郎」が日々増殖している。タブレットを使って歩きながら電子書籍やアプリで「勉強」している連中が偉くなったら、彼らの銅像も作られたりするのか!? いずれにせよ、忘れかけた次の歌を思い出し、次世代に伝えようではないか……「芝刈り縄綯(な)い草鞋(わらじ)を作り、親の手を助け弟を世話し、兄弟仲良く孝行尽くす、手本は二宮金次郎」……。
(おおた・まさとし)