根本精神曖昧な教育基本法

加藤 隆

名寄市立大学教授 加藤 隆

「人格完成」の人間像を

制定過程審議で生じた齟齬

 戦後の道徳教育は、一貫して「人間尊重の精神」を基調として展開してきた。学習指導要領の記述に「道徳教育の目標は、教育基本法および学校教育法に定められた教育の根本精神に基づく。すなわち、人間尊重の精神を一貫して失わず…」と明文化されるようになったのは昭和33年のことである。

 しかし、教育基本法および学校教育法に定められた教育の根本精神が「人間尊重の精神」であると簡単に括(くく)ってしまっていいものだろうか。例えば、戦後教育の礎である昭和22年3月に制定された教育基本法は、教育の目的を「人格の完成」であると指し示している。この理念は、今日まで教育全体を規定する指針である。すると、先に示した根本精神としての「人間尊重の精神」と教育目的としての「人格の完成」は同義語と考えていいのだろうか。

 少なくとも、教育基本法制定に至る議論の過程を見ると、生煮えの審議状況を垣間見ることができる。ここを震源とする教育の根本理念に対する認識のずれが、戦後教育に大きな影を落としている気がしてならない。その典型的な事例を教育刷新委員会での議論から読み取ることができる。この刷新委員会は、戦後教育を抜本的に審議するためにGHQからの要請で昭和21年8月に内閣総理大臣直属に設置され、教育基本法などの教育制度改革案を審議した組織だ。そこで一番大きな論争は、教育の目的とは何か、それをどのように表現するかだったと言われる。

 具体的には、教育の目的として「人間性の開発」を主張する務台理作(東京高等師範学校長)の流れと、「人格の完成」を主張する田中耕太郎(文部大臣)の流れの論争である。当時の議事録を読むと、務台の主張には、人間の無限の可能性を伸長させていくという楽観的人間観を見て取ることができる。それに対して、田中の「人格の完成」の主張には、務台とは正反対のベクトルが表れている。彼はのちに著書『教育基本法の理論』の中で、「人格の完成」をこう説明している。

 「人間は被造物であるが、自由を与えられていて、機械ではなく、また禽獣(きんじゅう)でもない。しかし、人間の自由は絶対的のものではなく、自己を超越する終局目的を実現する方向に行使されなければならない」

 ここに示された人間理解には、超越的な視座にある最終目的を実現する人間像、超越者の意図に参画する栄誉を持つ人間像を見出すことができる。つまり、務台の「人間性の開発」理念に見る人間像は、人間(自分)から出発するベクトルなのに対して、田中の「人格の完成」の人間像は、超越者から人間に向けられるベクトルなのである。このことに付け足すと、田中を始め、刷新委員会や文部省の要職には多くの内村鑑三門下生がいたという事実にも時代の妙味を感じるのである。

 しかし一方で、刷新委員会の大勢としては「人間性の開発」だったものを、田中文部大臣や南原繁刷新委員会副委員長を軸に、文部省ラインが強固に「人格の完成」を押し切ってしまった側面も垣間見られ、教育の根幹に関わる議論が十分な審議と共通認識をもって進めたとは言い難いのである。

 また、同年の帝国議会で教育基本法の理念を質問された高橋国務大臣は、「人間の中には無限に発達する可能性が潜んで居ると云ふ考を基礎と致しまして、教育は此の資質を啓発し培養しなければならない」と答弁するなど、務台の「人間性の開発」理念に近いことを主張する。このように、教育基本法の根本精神としての人間理解は、刷新委員会の崇高な議論から出発したにもかかわらず、時代や人の経過の中で曖昧模糊としたものに変容していくのである。

 では、時代や人の経過の中で、人間理解を曖昧模糊(もこ)にさせていった要因とは何だろうか。幾つか挙げるとすれば、基本法制定の翌月に控えていた戦後初の総選挙などの政治的要因、半年間で教育制度改革の結論を出そうとした刷新委員会の審議姿勢的要因、国民の感覚としては人間像より生活復興に関心が集中していた社会的要因、人格を超越者との関連で捉えた田中の説明不足要因などを挙げることができる。そして、昭和30年代からの高度経済成長や教育の経済への従属化がさらに人間論を蒸発させ、物質主義的な人間理解に貶(おとし)められていくことになる。

 話は変わるが、過日の国会の調査会で、一人の大学教授が参考人として発言した言葉が心に残っている。「人間の尊厳とは何かを教えないまま、命の大切さということだけを教えてきたのが戦後教育であり、その背景には戦後憲法学の影響があったものと思われます。…そのような教育が戦後半世紀以上にわたって行われてきたにもかかわらず、地球よりも重いと言われる人の命を虫けらのように殺したりする青少年による凶悪犯罪は後を絶ちません」。

 そうなのだ。人間の尊厳とは何かを真剣に問わないまま、やり過ごしてきたのが戦後教育だったのではないだろうか。我々は人間中心的な教育理念を戦後70年間一貫して実験してきた。そろそろ、田中耕太郎が「人格の完成」で指し示した、超越的な視座にある最終目的を実現する人間像、超越者の意図に参画する栄誉を持つ人間像に心致す時が来ているのではないだろうか。

(かとう・たかし)