米世論戦で勝った日露戦争

佐藤 唯行獨協大学教授 佐藤 唯行

「ユダヤを味方にせよ」

助言得て成功した金子男爵

 大国ロシアに対して乾坤一擲(けんこんいってき)の戦いを挑んだ明治政府。屈指の米国通、金子堅太郎男爵に密命を託した。米国内で友好的な対日世論を盛り上げ、ころあいをみはからって講和仲介の労を米大統領に頼めという命令だった。長期戦には耐えられぬ国力の乏しい日本。苦肉の戦略だった。託された責務の重大さに金子は「三寸の舌のあらん限り各所で演説してまわり、三尺の腕の続く限り筆をもって書きましょう」と覚悟の程を語ったそうだ。こうして開戦劈頭、1904年2月24日、アメリカへ向けて出港したのだ。以後、1年3カ月の長きにわたり米大陸を東奔西走し、米国民の日本への同情心を盛りあげるべく、広報・宣伝活動に尽力したのだ。

 敵は少なくなかった。一貫して反日的だったのは在米アイルランド系カトリックだ。英国を不倶戴天の敵とみなす彼らは英国と同盟を結ぶ日本を許せないのだ。感情的理由に加え、雇傭(こよう)をめぐる競合関係も無視できない。

 米西海岸に渡来した日本人移民は安価な労働力としてアイルランド系の雇傭を脅かしたからだ。従って、アイルランド系を主要支持基盤のひとつとする米民主党も日本に冷淡だった。他方、共和党エリートは概して親日派が多かった。因みに一般民衆はといえば、親日と反日との間を揺れ動く、頼りにならぬ集団であった。この逆風に曝(さら)された金子を終始応援してくれたのが在米ユダヤ系だった。彼らが日本を応援した理由については、当時のニューヨーク(NY)総領事、内田定槌が回想録の中で「ロシアはユダヤ人を非常に虐待しておったので、その復讐をするために在米ユダヤ人が結合して日本びいきをしてくれたのだ」と語っている。

 「ユダヤを味方にせよ」と金子に助言したのは15年来の知己で、米国務長官の知恵袋ヘンリー・アダムズだった。米到着から1カ月後、金子は「露国を苦しめる者はユダヤ人なり、此節の如きは露国に対する反抗心猛烈なるユダヤ人を日本の同情者とすること必要なり」とアダムズから教えを受け、以後、それを肝に銘じることになるのだ。この助言が正鵠(せいこく)を得たものだと金子に納得させたのが、04年4月20日、在米ユダヤ社会の重鎮、オスカー・ストロースの晩餐会に招かれた時のことであった。

 ストロースはNYの名門百貨店メイシーズ社主の弟で、06年には米史上初のユダヤ系閣僚(商務・労働長官)に選任されるほどの共和党の大物政治家だ。出席者はストロースと親しいユダヤ・エリートであったが、彼らが日本の勝利に欣喜雀躍(きんきじゃくやく)し、在露同胞を虐げるロシア政府に正義の鉄槌(てっつい)を下す復讐者としての日本軍に拍手喝采する姿を金子は目の当たりにしたのであった。

 米遊説中、金子が行った最大規模の単独演説会はカーネギーホールを借り切っての05年4月2日の演説会だ。奉天大会戦での日本軍大勝により高まった米世論の関心を逃さず、今回の催しを金子のために企画し、費用まで出してくれたのが倫理文化協会という団体であった。

 この団体はユダヤ教の旧弊に違和感を抱きながら、さりとて改宗する覚悟も持ち合わせぬNY市在住の同化主義的エリートユダヤ人を会員としていた。5000人の聴衆を集め立錐の余地もない会場で司会を務めたのが、副会長のエドウィン・セリグマンだ。彼はユダヤ系の有力投資銀行J&W・セリグマン銀行の創業社主、ジョゼフ・セリグマンの息子で米経済学会会長を務めた著名な学者だ。金子はここで、米国民が最も知りたがった「日本軍、強さの秘訣」について自説を開陳した。教育勅語、軍人勅諭が兵士の精神教育に威力を発揮しているという論旨だ。反響は絶大で、各界から軍人勅諭英訳版を求める要望が殺到したほどだ。

 同じく親日世論を盛りあげるため、05年5月13日、NY市中心部のブロードウェイのベラスコ劇場で金子が開催したのが日本軍人の遺族に義援金を集めるための募金演劇会だ。幕間には金子が日本の大義のために熱弁をふるっている。会場を提供した総支配人のデービッド・ベラスコは「蝶々夫人」の脚本作りなどを手がけた米演劇史上、名高い脚本家でもあった。

 ハリウッドがユダヤ人の創造した「映画の都」だったのと同様に、ブロードウェイも実はユダヤ人が築いた「演劇の都」だったのだ。

 昔から劇場主、脚本家、演出家としてユダヤ系の存在感は突出していたのだ。特筆すべきはベラスコが劇場の使用料を一切受け取らなかったのみならず、付属楽団も無報酬で提供してくれるという好意を示した点だ。ベラスコもまた日本の勝利に熱狂したユダヤ人のひとりであったからだ。お陰でこの日の収益は今日の7000万円近い金額に達した。この収益金が金子を通じて日本の軍人遺族援護会へ寄送されることが新聞に報じられるや、それを上まわる義援金が全米から集まった。

 日露戦争中の米国遊説で金子が果たした功績についてはつとに名高いが、その成功の陰には在米ユダヤ人たちの応援があったことを忘れてはならない。

(さとう・ただゆき)