フン・セン氏とスーチーさん、民主主義の死と正念場
民主主義拡大を期待しながら40年、東南アジアを見詰めてきた私は、最近落胆の連続である。
最大の落胆はカンボジアだ。民主主義が死につつある。
フン・セン首相の野党やメディア、NGOへの弾圧は今夏、頂点に達した。最大野党の救国党は、昨年の前代表国外追放、代表代行殺害事件に続き、ケム・ソカ代表が国家反逆罪で逮捕された。
何年も前の演説で「米国から、有力な民主政党作りの助言を得た」と語ったビデオが、「米国と結託、権力奪取を図った」証拠とされた。救国党の骨抜きは完了した。
別の野党党首が、フェイスブックの首相批判で5年の判決を受けた。米政府系国際放送局のニュースを流していた19のラジオ局が閉鎖され、硬骨の英字新聞も廃刊に追い込まれた。民主主義推進の米NGOなども退去処分。米国が重大な懸念を表明しても、首相は「彼らの操り人形を弁護しているだけ」と毒づいた。
フン・セン氏は、共産政権時代から32年も権力の座にいる。国連が内戦の和平から総選挙まで全部面倒を見て、93年に民主的王国を誕生させた。その選挙で彼の人民党が勝てず、第2首相に甘んじたが、97年に血みどろの武力行使で、第1首相を追い出した。
その後、強権指向は強まるばかり。「共産主義者のDNAで、1度水に落ちたら終わりと心得ている。死ぬまで権力を握り、息子らに引き継ぎたいのだろう」と、野党筋は見ていた。それで今回、来年の総選挙を前に、邪魔者=民主的成分の大切除手術を断行した。
カンボジアは日本が珍しく、和平やその後の政治ケアに積極関与してきた国だ。でも、結局それは、富士山の8合目辺りに、国連のヘリコプターで下ろされてできた、脆弱(ぜいじゃく)な民主主義だった。ヘリ民主主義が終わる。93年選挙の監視員活動中に凶弾に倒れた中田厚仁さん(享年25)の千の風は、どんな思いでカンボジアに吹いているだろうか。
今、元ポル・ポト虐殺政権後見人の中国が最大援助国となり、インフラの約70%を建設している。反政府派抑圧やサイバー監視の方法も伝授しているとか。中国だけが笑っている。
第2の落胆は、ミャンマーの指導者、アウンサン・スーチーさんのロヒンギャ問題対応だ。イスラム教徒のロヒンギャ人口の半数、50万人が逃げ出すなど、軍政時代にもなかった。国際社会から「民族浄化」と非難されては、民主主義が泣く。
彼女の統制外の国軍が、過激派武装集団摘発を名目に、殺りく、レイプなどを重ねている。国民も無国籍のロヒンギャを敵視する。難問に違いないが、スーチーさん自身の弱点ものぞいていると思う。
私は96年、軍政による1回目の軟禁を解かれた彼女と会見した。その時の印象は、「自分にも他人にも厳しい『鉄の女』。エリート育ちで、中下層民衆への共感や理解が不足気味。上から目線の民主主義者」だった。
日本の軍政への人道・開発援助継続を猛批判し、国立看護大学への援助に関し、こう決め付けた。「どうせ学生たちは卒業後、国民のためより金のために働く。ムダよ」
だから、今回も“縁の下の民”の苦難、危機管理に鈍感過ぎたのではないか。
スーチーさんらは、富士山に歩いて登ってきたが、ずり落ちかけている。正念場だ。「鉄の女」らしく、断固身を張って国軍に迫害停止を要求し、国民を説得できるか。
ここでも中国の笑う影は増大している。だが、問題から逃げ、中国に傾斜するのでは、ノーベル平和賞の民主化闘士の名がすたり、国も世界も傷つく。「名こそ惜しめ」である。
(元嘉悦大学教授)






