別名“NATO国家”
孝宗(朝鮮17代王)10年、1659年5月4日、王の体調はよくなかった。「腫れ物の毒が顔に流れて膿瘍になった」という。大造殿に呼ばれた医官たち。悪い血を抜くかどうかで論争が起こった。孝宗はその日の午前、息を引き取った。孝宗は23年前、丙子胡乱(清が朝鮮を制圧した戦いの韓国名)の後に後金の瀋陽に人質として連れて行かれた鳳林大君だ。
問題が起こった。孝宗の母、趙大妃の喪服をめぐる論争が勃発した。喪服を着る期間を(官僚派閥の一派)西人は1年、(同)南人は3年だと固執した。15年後に孝宗の妃が亡くなると同じ論争がまた起こった。いわゆる礼訟論争だ。有名な儒学者の宋時烈も論争の中心にいた。
実事はどこかにいって、論争だけに熱狂する朝鮮。実直な学者の目にはどのように映ったのか。星湖・李瀷(星湖は雅号)は『聖朝憂民』という短い文章にこう書いている。「孝宗の体調が悪い時に厨司が幾つかの村にウズラと魚卵を献上するよう命じたが、王が民の苦労を気遣って止めさせた」。どんな考えで書いたのだろうか。こんな考えではないか。「惨禍で廃虚と化した国土。王はむしろ民のことを気遣うのに、服喪期間をめぐって争うとは。国がどうして正しく立つだろうか」。李瀷は実学者だ。
世界経済フォーラム(WEF)の国家競争力報告書をめぐって“NATO国家”という言葉がまた出ている。いい言葉ではない。「行動せずに言葉だけが騒々しい(No Action Talk Only)」という意味だ。コンサルティング会社のブーズ・アレン・ハミルトンが1997年の通貨危機に際してわが国に対し初めて使った。どれだけ情けない状況だったのか。危機を目の前にしながら“労組天国”起亜自動車は国民企業だからとリストラ反対を叫び、中央銀行の職員は金融改革反対を叫んだ。国家が債務不履行の危機に直面してもスローガンだけが騒がしい国。まさしくNATO国家だ。
今はどう違うのか。0%台の経済成長率、最悪の失業率、投資しようとしない企業、北朝鮮の挑発…。経済は崖っぷちに立っている。それなのに国家経済を再生する行動はせずに福祉のスローガンだけが騒がしい。経済だけか。国家の安全保障も同じだ。
丙子胡乱の23年後に起こった礼訟論争。その後、朝鮮王朝は衰退の道を歩んだ。通貨危機から20年後に噴出するNATO批判。その結果も見え透いていないだろうか。
(9月29日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。