アベノミクス誤算は消費に

尾関 通允経済ジャーナリスト 尾関 通允

売り手が競争する時代

効率的で小さな政府目指せ

 いわゆるアベノミクス=安倍政権が発足早々に自賛の意をも込めて打ち出した日本経済再建策は、筆者の見るところ、失敗とまではいえないものの、成果らしい成果を挙げてはいない。数字による細かな分析はここでは省くが、日本経済社会全体としての景況は弱含み横ばいの域を出ていない。現況のまま推移するならば、事実上すでに予定しているはずの消費税の税率再引き上げによる日本経済へのマイナスの影響は、容易ならぬものになる心配が強い、と断言せざるを得ない。

 いまさらのきらいがなくもないが、アベノミクスの骨格部分に、まず目を向けよう。一つは日銀主導のゼロ金利政策。諸企業の利子負担軽減と併せての円安誘導による輸出産業とその関連諸企業ならびに海外展開産業とその関連企業への支援、これを中心に企業活動の活性化を促して企業収益増を支援する。企業収益増の相当部分を勤労者の賃金引き上げと待遇改善に向けさせ、勤労者の家計を格段に豊かにし、消費増を促進する。これら一連の施策で日本経済全体の活発化を達成しよう――というものだった。

 だが、残念ながら、アベノミクスには重大な誤算があった。食糧・飲料・日常生活に必要不可欠あるいは便利至極な耐久財が一般国民の多数の家庭にほぼ行き渡っており、消費者が各商店からいわば「売って頂く」「買わせてもらう」時代ではなく、売り手の商店ないし各種サービスの提供業者がそれぞれ少しでも“多くの客”を求めて競争する時代に経済基盤が変わってきていることである。

 多くの客を求めての供給者つまり売り手側の競争は多方面に及んでいる。単に日常の食品・飲み物に限らない。そのため、必然的に売り手側諸企業の「いかに顧客=買い手の購買意欲をつかむか」で、否応なしに新たな工夫をこらさざるを得ない。例えば客の購買意欲を刺激するポイント制の導入や新商品・新サービスの提供、0120で始まる通話料受信者側負担による客への新商品・新サービスの情報の提供、送料無料での「お届け」の強調、中には「1個お求め頂けば、もう1個ただで差し上げます」というごまかしまがいのTV・ラジオでのCMもあった。(売り手側の製造販売コストとそれなりの利益は最初の1個に含まれているに違いなく)これは厳しくいえば“ペテン商法”に等しかろう。さすがにこのCMは近ごろは聞かない。しかし、首をかしげざるを得ないようなCMは他にも少なくない。同じく0120で始まる料金受信者払いの電話での商品売り込みCMで「先着○○名様に限り初回は無料(正規価格よりも格安の値段を強調する事例も)」で○○の数を超えての提供の例は珍しくない。

 筆者の記憶では、これもしばらく前のことだが、「先着○○名様に限り最初の1箱(○○粒入り)をお試し用に無料でお届けします」というのがあった。それはそれでいいのだが、このCMが1年以上も続いたとなると、かえって買い手の意欲を掴み得なかったことを自ら露呈したに等しい。

 60年近く以前の話だが、筆者は欧州の某国の招きでこの国の各地を視察して回る機会があった。その時期、応対に当たった担当官の一人が「日本には(総合)大学がいくつあるか」と不意に質問した。正確な大学数は知らなかったが、大ざっぱに「約80」と答えた。すると相手は驚いたような表情で「よく教授をそんなに集められるものだ。我が国の大学は8校しかない」と答えた。昨今の日本では大学と称する教育機関がどれだけあるのか。

 毒舌の評論家で知られた大宅壮一が「駅弁大学」と皮肉ってから久しい。実在する大学数はさらに増えているだろう。他方で日本では少子化が進んでいる。ここでは「駅弁大学」も学習塾も経営は容易なものではないだろう。塾経営の側からすれば、そこで学んでくれる児童・生徒は多い方がいい。しかし、著名大学への合格率が低ければ、児童・生徒は集まりにくい。話は長くなったが、学習塾の分野でも優勝劣敗の原則が働いており、「学習」という名のサービス提供の部門でも、サービスを受ける側が優位になっていることを否めない。

 「売ってやる時代」から買い手側が売り手側の提供する商品・サービスを任意に選択する時代に変化している。無論、例外ないし圏外にある部門は今日もある。例えばスポーツ見物や観劇など。が、それらは賑わっているには違いないものの国民の消費総額に比べれば少額に過ぎない。海外からの観光客の国内での消費もまた同様、しかも、日本人の海外観光増とで大半は相殺されよう。

 結論に移る。日本経済にとって想定外の好材料の発生がないものと前提すれば、国内景況はよくて横ばい圏内、足踏み状態から抜け出す可能性は期待しにくい。いわゆるアベノミクスは成果らしい成果なし。景況好転の大材料が浮上しない限り、消費税の税率再引き上げは論外。より効率的で、より小さな政府を目指すべきである。

(おぜき・みちのぶ)