道徳教育教科化と今後の課題
生徒指導と一体で見直せ
他教科と異なる文章評価で
道徳教育の教科化が実現に向けて準備が進んでいる。本年3月学習指導要領の一部が改訂され、従来の教科書になかった「道徳の時間」が、教科書のある「特別の教科である道徳」に改められ、そして9月には教科書検定のための教科書検定基準を告示した。
学習指導要領でも、従来の分かりづらい「目標」の規定も「よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため」とより明瞭化させ、内容項目(道徳的価値、徳目)に、「個性の伸長」「相互の理解、寛容」「公正、公平、社会正義」「国際理解、国際親善」「よりよく生きる喜び」を従来のものに追加し、より構造的に整理している。
教科書検定基準についても、教科書検定で検定意見を付すことに難しい面があるという一部の見解に対して「専門的見地から検定意見を付すことができる」と押し切っている。
これら一連の準備状況を一覧するにつき、関係者の努力がよく分かり、道徳教育の教科化に向けて格段の進歩を遂げていると言ってよい。以下は、それでも必要な留意点、課題について述べていくことにする。
●道徳教育と生徒指導の一体化
道徳教育の教科化にあたって、いちばん強く意識し、原理として押さえなければならないのは、道徳教育といわゆる生徒指導は一体であるということだ。道徳教育は将来に向けての生徒指導であり、生徒指導は現時点の道徳教育である。
道徳教育の目標が「よりよく生きるための基盤となる道徳性を養う」ということであれば、学校生活で起こっているいじめにおいても、事件さえ起こさなければよいというような消極的なものではなく、道徳的観点からの指導という側面が厳に含まれていなければならない。
「よりよく生きる」は、個人の心の問題であると同時に、円満な社会性を身に付け他者に迷惑をかけないという面と重なっており、道徳教育はこの二つの面を満たしながら行うものである。そのとき、将来に向けての指導と現時点の指導とがあるのだ。
●教科化による道徳教育の再建
将来に向けて行う道徳教育の中心となるのが教科としての道徳教育である。戦後、占領軍は戦前の修身を評価しており、廃止する意向はまったくなかったが、ある行き違いによって、修身は廃止となり、さらには修身は民主主義教育になじまないので占領軍が廃止したという誤解が行きわたり、戦後の道徳教育は、武蔵野大学貝塚茂樹教授が指摘しているように、思考停止に陥った。
昭和32年の「道徳の時間」の設置も、戦前の修身の復活ではないかという批判をかわすために、教科書がつくられなかったし、押しつけは民主主義教育にそぐわないとして、話し合いを極端に重視するものとなり、その結果、道徳教育としてはいかに努力しても効のない、理論上崩壊した道徳教育となった。そのような経緯の下に今回、道徳教育の教科化が行われようとしているのである。
道徳教育の教科化ということでは、私の著書『日本の道徳教育は韓国に学べ―道徳教育教科化への指針』(文化書房博文社 2007年)を参照されたい。
●道徳教育の評価は他の教科の評価とは原理的に異なる
道徳教育は行われても評価は難しいとよく言われる。当然である。他の国語や算数(数学)の教科は限られた特殊な能力を子供の人格の中に啓培するものであるから、その能力の身に付けた度合いをある程度数量化して表せる。
しかし、道徳教育で道徳性を養うというとき、その課題は究極的には子供一人ひとりによって異なるものであり、その違いに基づいて評価しなければ真の評価にならない。したがって一律に数量化して表すことはできず、文章による評価しかできない。
●道徳教育の教科化にともなう中教審のさらなる課題
道徳教育の充実のためには、現在の学習指導要領も全面的に点検する必要がある。道徳教育は生徒指導と一体化して行うもので、その意味で、学校の教育活動全体で行うものであり、道徳教育が教科化すれば、既存の他の教科の規定も見直さなければならなくなる。
例えば、社会科の公民的分野で、何ゆえに愛国心や公共の精神に関する規定が欠如するのか。美術では、日本の美術は世界にも影響を与えているのに、なぜそのようなことを教科書に記述することを促す規定がないのか。家庭科は社会の変動に基づいて、親学を中心にして改変されるべきではないか。中教審は各教科のエゴや因習を越えて見直しをしなければならない課題を確実に背負っている。
(すぎはら・せいしろう)