米国の大学制度と大学改革
認可、評価、入試に違い
個別学科試験に議論の余地
日本の常識は外国では非常識と言われるが、国際的に比較すれば、日本の大学制度が特異の存在であることがわかる。ただし、ヨーロッパの高等教育機関はほとんどが国立または国立に近い公立であるから、ここでは主として、多数の私立のあるアメリカの大学を対象としたい。
4年制大学の数はいずれも概数で、アメリカの場合州立が500、私立がその2倍の1000。日本は国公立が150、私立がその4倍の600。
私立大学は日米ともにピンからキリまでさまざまだが、わが国ではすべて大学設置審議会の2年間の審査を経て文科大臣から認可のお墨付きを得ている。私は新学部設置の委員長をしたので、その間の事情はよく知っている。文科省が調べるのは、募集予定学生に対する適正な校地・校舎面積、十分な教育施設(図書数を含む)、理事者・教員の陣容、そして最も重視するのが、長期にわたって存続可能の見通し、である。
大学冬の時代の表れとして、定員割れで経営難になっている例も少なくない。にもかかわらず、毎年大学の新設、学部の増設が続いており、中学卒業程度も怪しい偏差値の学生を入学させている大学は、入学金・授業料とも高くても、募集に困ることはない。裕福な親たちが子女に何とか大学卒業の肩書きを与えたいと思って支援しているからである。
一方のアメリカにはこのような時間と費用のかかる認可手続きは必要ない。大学を創設したい者は必要事項(場所は貸しビルの一部でも構わない)を記載して州政府に届ければapprove(承認)される。これでは本当に勉学の府なのか、degree mill(学位を売って金儲けをする事業体)なのか区別がつかない。
そこでアメリカの六つの地区で、それぞれ単科大学(college)と総合大学(university)が連盟を結成して一定の水準を維持させている。それらの教育機関をaccredited institution(認定校)という。新設の大学は、ほとんどの場合、最初の卒業生が水準に達していることが明らかになるまでは加盟を許されない。また、いい加減な教育をしていることがわかると、除名される。したがって、日本で知られていない小規模な大学の出であってもaccredited degree(認定学位)を取得している人は、専門分野の実力においてアイヴィー・リーグの出身者に劣らない。もちろん、有名大学の方が施設が充実しており、奨学金が得やすく、有力な先輩が多いので、社会に出てからも有利である。
アメリカでの大学評価基準の一つは、ローズ奨学制度(Rhodes Scholarship)合格者の数である。19世紀に南アフリカで鉱山王となり、ローデシア(現在のザンビアとジンバブエ)という植民地を所有していたイギリスの大富豪セシル・ローズが設けた学生招聘(しょうへい)基金で、毎年アメリカから数十人がイギリスに留学している。クリントン元大統領もその一人だ。それを調べてみると、意外にも地方の州立大学が複数の合格者を出している。
わが国では大学受験資格は高校卒業か大検合格となっているが、大部分の先進国では、センター試験とは異なる形のテストを受けることを義務付けており、その代わりに学科目入学試験は行わない。フランスではバカロレア、ドイツではアビトゥアに合格すれば、両国とも国内のどの大学にも進学することができる。イギリスでは志望する大学の学科ごとにGCSEという試験のAレベルの科目が要求され、その成績によって選別される。(中国でも高考、韓国でも修能というものを義務付けていると聞く。)
アメリカで大学に出願する際には、州立・私立を問わず、SATかACTという到達度テストの成績を提出しなければならない。このテストは年間に7回と5回実施されるから、その中から一番よかったものを出せばよい。
そのほかに、高校の成績表と推薦状、課外活動記録、小論文か作文(主としてその大学を選んだ理由)が要求される。有力な私立大学ではさらにSATⅡという学科目別の得点の提出を求め、入学を許可する前に必ず面接を施す。大学側では到着した書類を順次審査して合否を通知する。したがって入試シーズンはなく、検定料は50㌦以下だから何十もの大学に願書を出す者もいるという。一般に入学定員はなく、ある程度合格者がまとまったところで、セメスター制の大学では9月と2月に入学させるのが従来の慣行だった。
大学の入学が1点の差で決まるのが果たして本当に適正かどうかは議論の余地があり、わが国の教育再生実行会議でもセンター試験をSATのような到達度テストに変更して、1年に数回実施することを検討している。けれども、大学ごとの個別学科試験の廃止には程遠い。
今回は大学の外側を見ただけで、教育などの内容については別の機会にとりあげなければならない。
(おおくら・ゆうのすけ)