「中国への全面協力」伝えた林外相を応援する朝日、疑問を呈する産経
“筋金入り”の親中派
「無用な誤解」とは役に立たない間違った理解や解釈をいう。林芳正氏は第2次岸田文雄内閣で外務大臣に就任した際、「無用な誤解を避けるため」に日中友好議員連盟の会長職を辞任した。林氏にとって「無用な誤解」とは何なのか、具体的な話はなかった。
その「誤解」について産経の古森義久・ワシントン駐在客員特派員は23日付「緯度経度」で、「日中友好議連 米が警戒」と伝えている。米国は中国共産党政権が対日政治工作のために同議連を使うことに警鐘を鳴らしてきた。日米や日英などの議員交流と異なり、公式名称に「友好」を冠し、中国側の議員は共産党の指名や推薦で選ばれた全国人民代表大会の代表という党の下請け人だ。議連は人民解放軍が日本に対する「政治闘争」のために利用する「中日友好七団体」(他に日中友好協会など)の中心的組織だ。
林氏は今年1月、友好七団体の代表が招かれたビデオ会議で、「北京冬季五輪に協力し、両国の世論基盤を改善して、友好事業を絶えず新たに発展させ、良好な雰囲気で22年の日中国交正常化50周年を迎えたい」と、他の団体代表と共に述べた。これを古森氏は「まさに中国への全面協力の言辞」と指摘する。
バイデン米政権が北京五輪をめぐって中国に人権弾圧への懸念を伝えているのに、日本の外相はつい最近までこんな言辞を語っていた人物だ。古森氏の呈する疑問は、林氏への「無用な誤解」が案外、「有用な正解」ではないかと思わせる。実父、林義郎氏も同議連の会長を務め、その下で幹事長だった親子2代の“筋金入り”。林氏は「知中派」の域を超えている。
世論の“改善”に貢献
七団体のうち最も歴史が古いのは日中友好協会で、1949年の中国成立とほぼ同時期に野坂参三ら日本共産党幹部らを中心に発足。対日工作の拠点とされた。66年に日中両共産党が武装闘争をめぐって対立すると、日共系と中共系に分裂。2015年に丹羽宇一郎氏が後者の会長に就任した。
丹羽氏は伊藤忠会長などを歴任後、民主党政権時代に民間人として初の中国大使になり、「日中両国は住所変更もできないし、夫婦以上に別れることもできない。仲良くしていくしか選択肢はない」(10年12月、習近平国家副主席=当時=との会談で)と発言し、媚中(びちゅう)派と批判された。
林氏らの言辞にあった「両国の世論基盤を改善」する役割を担っているのは日中文化交流協会だ。中国の対日文化人工作の拠点組織で、日本共産党が1956年に中島健蔵(仏文学者)、井上靖(作家)、團伊玖磨(作曲家)ら著名人を担いで発足。日中国交や日中平和条約の締結工作に文化人を動員した。
同協会から日中友好の世論づくりに貢献したとして朝日新聞は73年、東京新聞は85年に同協会から表彰を受けている。朝日や東京などの左派紙は日中国交以来、「世論基盤を改善」する期待を担ってきた。戦後一貫して親中路線を歩んできた朝日は、なおさらだろう。
中国の期待感を代弁
林氏が外相に就任すると、朝日は「林氏は首相が率いる岸田派の幹部で、超党派の日中友好議員連盟の会長を務める。日本の外交・安全保障政策において、台頭する中国にどう向き合うかが重い課題となるなか、その経験や知識を生かしてほしい」(11日付社説)と、エールを送った。朝日には林氏への「無用な誤解」はこれっぽっちもない。
人権外交については「政府はこれまで、対話重視の外交を展開しており、制裁法案については慎重な姿勢を崩していない。林芳正外相は就任会見で、二国間の対話や協力を積み重ねて自主的な努力を促すなど、『日本らしい人権外交』を進めたいと語った」(18日付社説)と、これも林外相への応援調で、中国の期待感を代弁しているかのようだ。
安倍・菅政権時と比べると隔世の感がする。朝日は岸田政権を親中にしたいらしい。
(増 記代司)






