消える「同化」の伝統、対立助長する「多文化主義」

米国の分断 第3部 「自虐主義」の源流 (6)

 「共産主義の悲惨な状況を逃れ、米国にやって来て素晴らしい人生になった。その私が一体どうして米社会の被害者なのか。あり得ない」

マイク・ゴンザレス上級研究員

インタビューに応える米ヘリテージ財団のマイク・ゴンザレス上級研究員

 米有力保守系シンクタンク、ヘリテージ財団で上級研究員を務めるマイク・ゴンザレス氏は、12歳の時にカストロ体制下のキューバを逃れた。2年間のスペイン生活を経て、1974年に家族と米国に移住。その後、AFP通信やウォール・ストリート・ジャーナル紙の海外特派員となり、ブッシュ(子)政権では国務省などのスピーチライターを務めた。

 亡命者の立場から、世界各地を飛び回るジャーナリストとなり、米政権の要職にも就いたゴンザレス氏。近年、米国を差別社会と否定的に捉える風潮が強まっているが、同氏は米国が名も無き移民にも平等な機会を与える国であることを自ら体験してきた。

 「米国で差別に遭ったこともある。だが、それは小さなものだ。米国で生きられることは本当に幸運だ」

 米国は「移民の国」として発展してきたが、多民族国家は本来不安定だ。米国は1776年に英国から独立するが、90年までに英国系の住民は既に半数を割っていた。

 英国以外から移民の流入が続き、一段と多様化が進む中、米国を独立に導いた建国の父たちは、社会の調和や安定を維持するために、ある言葉を国家のモットーに据える。

 「エ・プルリブス・ウヌム」というラテン語だ。「多数から一つへ」を意味し、82年に採用された国章にも刻まれた。多様な背景を持つ人々が、独立宣言や合衆国憲法で謳(うた)われた自由や平等、小さな政府といった建国の理念を中心に米国民として一つにまとまっていくことを建国の父たちは目指したのである。

 以来、米国に新たにやって来た移民に対し、建国の理念や米国民としての共通のアイデンティティーを受け入れさせる「同化」が伝統となった。初代大統領ジョージ・ワシントンも、副大統領ジョン・アダムズへの書簡で、移民が「米国の習慣や風習、法律に同化され、一つの国民になる」ことの重要性を説いている。

 ところが、建国以来の同化の伝統に対し、「米国は過去40~50年間、背を向けてきた」とゴンザレス氏は指摘する。代わりに強調されるようになったのが「多文化主義」だ。移民を米社会に溶け込ませるよりも、出身国から持ち込んだ言語や習慣、価値観を尊重し、各グループのアイデンティティーを維持させることが奨励されるようになった。

 もちろん、これまで米社会に同化してきた移民も、出身国の伝統や文化を大切にしてきた。だが、ゴンザレス氏ら保守派が多文化主義を問題視するのは、米国民を白人、黒人、ヒスパニック系、アジア系などのグループに切り分け、マイノリティー(少数派)の各グループを差別の歴史の被害者と見なす立場から促進されていることだ。

 米国民としての誇りや愛国心を高めることで異なる背景を持つ国民を統合することに主眼が置かれたのが同化だった。これとは対照的に、被害者意識やグループ意識を煽(あお)る多文化主義は、国への誇りや帰属意識を希薄化させ、人種間の対立を逆に助長しているというのである。

 ゴンザレス氏は言う。「米国民がグループごとに分断されれば、社会の結束や一体感は失われてしまう。多文化主義を転換し、エ・プルリブス・ウヌムの伝統に戻る必要がある」

(編集委員・早川俊行、写真も)