歴史を書き換えた1冊、人々から国家への誇り奪う

米国の分断 第3部 「自虐主義」の源流 (1)

 第1部、第2部では、米国で自国の歴史や現代社会を否定的に捉える風潮を示す事例を紹介した。第3部では、こうした「自虐主義」がなぜ浸透したのか、その背景を探る。(編集委員・早川俊行)

ロナルド・ラドシュ氏

米メリーランド州の自宅でインタビューに応えるロナルド・ラドシュ氏

 「トーマス・ジェファソンら米建国の父たちは、黒人奴隷を所有した邪悪な人種差別主義者だった。だから、米国は誕生から邪悪な国であり、今なお邪悪な国だ。米国をこのように見る米国人が増えている」

 こう指摘するのは、有力シンクタンク、ハドソン研究所の非常勤研究員で歴史家のロナルド・ラドシュ氏だ。かつては米国共産党に所属したこともある左翼活動家だったが、1980年代に左翼思想・運動に幻滅し、保守派に転じた。

 メリーランド州の自宅で本紙の取材に応じたラドシュ氏は、米国内で自虐主義が浸透した大きな要因として、ある一冊の書籍の影響を挙げた。その書籍とは、故ハワード・ジン・ボストン大学名誉教授(1922~2010)の『民衆のアメリカ史』だ。

 「多くの人がジン氏の本で教育されている。歴史家としてのジン氏の信用は完全に失墜しているが、彼の本は依然、何千という高校で教科書として用いられている」

 『民衆のアメリカ史』はそのタイトルの通り、偉人や英雄ではなく民衆に焦点を当てた歴史書だ。先住民や黒人、労働者、貧困層、女性が、強欲な白人男性支配階級にいかに虐げられてきたかが延々と書かれている。

 「自虐史観」の広がりは1960年代以降の傾向であり、決してジン氏一人の影響によるものではない。だが、80年に出版された『民衆のアメリカ史』は、現在までに推計300万部の歴史書としては大ベストセラーとなり、多くの米国人の歴史観を変えたことは確かだ。

 初版わずか5000部の堅い歴史書がここまで社会の注目を集めるようになったのは異例。人気俳優マット・デイモン氏が自ら脚本も手掛けた映画で、「真の歴史書を読みたければ、ハワード・ジンの『民衆のアメリカ史』を読めよ」と述べるなど、ハリウッドやリベラルメディアが後押ししたことも大きい。

 露骨な反米主義に偏ったジン氏の歴史解釈には、保守派だけでなく左派系学者からも客観性を疑問視する指摘が相次いだ。だが、ジン氏は生前、「客観性を保つのは不可能であり、望ましくもない」と言い切り、未来を変えるために過去の出来事を自らの価値観で取捨選択し、解釈するのが歴史家の仕事であるかのような考えを示していた。

 「歴史家ではなくプロパガンディストだ」。ラドシュ氏が長年、ジン氏をこう痛烈に批判してきたのには理由がある。

 左翼勢力は、原爆の機密をソ連に渡した罪で53年に死刑執行されたローゼンバーグ夫妻を冤罪(えんざい)だと一貫して主張してきた。ラドシュ氏は左翼言論人だった時代、夫妻の無罪を証明しようと調査したところ、夫妻は実際にスパイ活動に従事していたことが分かった。事件の真相を明らかにする書籍を出版したことで、ラドシュ氏は左翼内で裏切り者扱いされてしまう。そんな経験から、同じ歴史家として真実よりイデオロギーを優先するジン氏の姿勢は許し難いのだろう。

 ジン氏は生前、『民衆のアメリカ史』を書いた目的は「静かな革命」を起こすことだと述べていた。米国の歴史を成功の物語から、虐殺、搾取、抑圧、差別の暗黒の物語に書き換え、多くの人から国家への誇りを奪ったことは、一種の革命と呼べるかもしれない。