「米国第一」を問う、敵対的多文化主義を拒否 ジョン・フォンテ氏
米ハドソン研究所上級研究員 ジョン・フォンテ氏(上)
トランプ米大統領が掲げる「アメリカ・ファースト(米国第一)」が、世界を揺さぶり続けている。トランプ氏が目指す内政・外交政策の方向性を見極めるには、背後にある同氏の国家観・世界観を理解する必要がある。米国の識者に聞いた。(聞き手=編集委員・早川俊行)

ジョン・フォンテ氏 米アリゾナ大卒。同大で修士号、シカゴ大で博士号を取得。米教育省の上級研究員やアメリカン・エンタープライズ政策研究所(AEI)客員研究員などを歴任。現在、ハドソン研究所の上級研究員・米共通文化センター所長を務める。
トランプ氏が目指す国家の方向性は、オバマ前大統領とどう違うか。
オバマ氏は「米国を根本的にトランスフォーム(変革)する」と主張したが、その戦略の一部が移民だ。低所得の移民を大量に受け入れることで、米国を左傾化させようとした。これは単なる移民政策でもなければ、国家にとって最善を考えてのことでもない。民主党の長期的な政治戦略だ。
オバマ氏が目指した米国のトランスフォーメーションとは、市民が共通のアイデンティティーを持った国家から多文化主義へと変えることだった。この考えの下では、人々は米国民であることを第一に考えるよりも、アフリカ系、中南米系、アジア系、女性、LGBT(性的少数者)など、それぞれが属するグループを第一に考えることが強調される。
グループを強調することで、米国民は分断され、互いに対立し合う。これがいわゆる米国の「バルカン化」、敵対的多文化主義だ。
米国は世界各国から人々が集まってきた多民族の国家だ。各民族がそれぞれの伝統や習慣を米国に持ち込むのはいいことだ。だが、政治的、そして市民としては、米国民であることが第一であるべきだ。トランプ氏はそれを求めている。
米国のモットーの一つは「エ・プルリブス・ウヌム」だ。「多数から一つへ」を意味するラテン語で、国章にも書かれている。多文化主義はその逆で、「一つから多数へ」を目指すものだ。トランプ氏は米国が一つになることを訴えている。
オバマ政権は多文化主義をどのように推進したのか。
オバマ政権下では、移民に市民権を付与するプロセスが多文化主義の思想に基づいて進められた。移民に市民権取得を促すプロモーションビデオで、オバマ氏は米市民になっても自分を変える必要はないと主張した。
だが、これは間違いだ。米市民になることは、それまでの自分を放棄し、米国に忠誠を誓うということだ。新たな移民に対し、米国のアイデンティティーなど多くのことを受け入れるよう求めなければならない。
これは米国の伝統だ。初代大統領ジョージ・ワシントンは、副大統領ジョン・アダムズへの書簡で、移民を受け入れる時は米社会に同化させなければならないと主張した。20世紀初頭に大量の移民が入ってきた時も、移民を米社会に同化させる「アメリカナイゼーション」と呼ばれるプログラムが公教育で行われた。これが今は多文化主義に変わってしまった。
トランプ氏は、移民を同化・統合・アメリカナイズさせる伝統を取り戻そうとしている。移民は歓迎するが、米国民になることを求める。これがトランプ氏の立場であり、前政権からの大きな転換だ。
愛国心が社会の分断克服
ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)の影響で、米国ではこれまで、移民の大量流入や多文化主義に異論を唱えにくい風潮があった。
これらのテーマは今まで議論することがタブーだったが、トランプ氏がこれを解いてくれた。言論・表現の自由が拡大したことで、異なる意見を持つことが可能になった。
トランプ氏は通常の政治家とは異なるアウトサイダーであり、物事を遠慮なく言える破天荒な人物だ。ポリティカル・コレクトネスには誰も反対できないと思われていたが、トランプ氏はこれに立ち向かっている。他の共和党候補が大統領になっていたら、そうはいかなかっただろう。
トランプ氏は就任演説で、肌の色にかかわらず「われわれは皆、同じ愛国者の赤い血が流れている」と訴えた。愛国心を煽(あお)ることで分断する国家をまとめようとしているように見える。
その通りだ。ナショナリズムとは国家に対する愛情を意味する。米国民が米国を第一に考えるように、日本人も日本を第一に考える。これは自然かつ健全なことだ。
ここで言うナショナリズムとは、ショービニズム(排外的愛国主義)やジンゴイズム(好戦的愛国主義)ではなく、民主的ナショナリズムだ。人々が国を愛する気持ちは、自治に基づく民主主義を機能させる上で不可欠な要素だ。多くの人がトランプ氏を嫌い、米国を分断していると考えている。だが、そうではない。トランプ氏が目指しているのは、われわれは皆、米国民だという一体感であり、「エ・プルリブス・ウヌム」なのだ。